「さてさて。つまらんかどうかは、分からん。いいことをおしえてやるのじゃ。これから、坊は、ふたつのうち、どちらかを手に入れることができるのじゃ。
ひとつは、いいか、坊の妹じゃ。奥さまのおなかに、かすかな、かわいらしい命が、ぽつり、と火をともす。
たけなす緑の髪は、夜の空の、星ひとつかがやかぬ、真の闇をうつして、くるくるとまるいふたつの目は、きよらかな、けだかい、真冬の新月がそこにそっと宿るよう。
指は白魚。
爪は貝。
肌は雪。
口唇は花。
うつくしい、それはそれはうつくしい、妹御がお生まれになる。
坊をしたって、兄、妹、なかむつまじく、手をとりあって、大きくなっていきます。
やがて、さる大名にみそめられます。怜悧、剛勇、ならびなき人物であります。家中は、ますますさかえるでしょう。
もうひとつは、いいか、ものを言う鳥じゃ。異国のものが、城下に来ます。とらえられたそやつは、七色に羽をかさね、あくどいまでにあざやかに、見るものの目を射るような、ふしぎな鳥をさしだすのです。
その鳥は、人のことばを知っておりまする。
およそこの世の、ありとしある、すべてのことを知っております。
鳥は、坊に、しあわせをもたらすであろう。
また、わざわいをも、もたらすであろう。
坊が、どのような大人になるか、それは、まだ決まっておらぬのじゃ。
しあわせを呼ぶも、わざわいを呼ぶも、坊、おまえしだいじゃ。
どうじゃ。妹と、鳥と、どちらがほしい」
「どっちもほしい」
「ほ、ほ、ほ。いい子じゃの。いい子じゃの。ばばも、できることなら、ふたつとも坊にやりたいのじゃ。じゃがの、どちらか、ひとつだけじゃ。そういうことになっておるでなあ」
「どちらかか」
「どちらかじゃ」
「鳥」
「鳥か。どうして」
「ものを言う鳥、見たことがないぞ。妹は、どんなものか、わしにも分かる。つまらんではないか」
「ほ、ほ、ほ。坊はえらいの。よしよし。それでは、鳥をやろう。ものを言う鳥じゃ」
ふわり、と、においのある風がふいた。あまい、なまあたたかい、妙な風で、扇丸はくしゃみをしました。
鼻をすすって、気がついたら、もう、そこに婆アはおりませんでした。
扇丸は、しばらくお庭でぼうっと立っておりました。
「若さま、若さま、こんなところにいらっしゃったのですか」
家来のひとりが、扇丸を見つけました。
家来に手をひかれて、扇丸はお庭に心を残しつつ、あれはなんだったのだろう、と、夢うつつに考えていましたが、やがて、忘れてしまいました。
それから、数日後のことです。
お城の門が、あわただしく、ぎぎい、ぎぎい、と開きました。
家来たちにかこまれて、入ってきたのは、赤い髪、青いひとみ、鼻、高く、肌、青ざめて、黒い筒のような着物で、おお、まさしく、異国のものです。異国のものです。
「おまえは、どこから来た」
「海のむこうです」
「どうやって来た」
「船です。百人ほど仲間がいましたが、助かったのは、わたしだけです」
「なにをしに来た」
「わたしは商人です。ものを売りに来ました」
「どんなものを売りに来た」
「このようなものです」
殿さまの前で、どもりどもり、こたえるのでした。
はるかかなたのものが、手にとるように大きくうつる、遠めがね。
いつでも針の先が北をさすという、羅針盤。
黄金色の酒。
火のつく粉。
家来たちは、商人が出すもの出すもの、いちいち声をあげて、おどろいていました。
そして、最後に、かごに入った、ものを言う鳥でした。
「この鳥は、なんだ」
「殿さま、鳥に話しかけてみてください」
「む。なぜだ」
「なんでもよろしい。話しかけてみてください」
「そうか。鳴いてみろ」
羽をつくろっていた鳥は、そのまま、殿さまに目をやりもせず、
「鳴いてみろ。鳴いてみろ」
と、まねをしてみせたのでした。
「なんじゃ。わしの言ったことを、この鳥も言ったようじゃが」
「そのとおりでございます」
「気味の悪い鳥だ。こんな鳥は、見たことも聞いたこともない」
「さよう。たいへんめずらしい、霊鳥でございます。このように人のことばを話すことができるのは、神が、この世界をおつくりになったとき、けものどものなかで、もっとも信仰のあついこの鳥に、特別に、神をたたえるためのことばをさずけてやったのだ、といいます。神に祝福された鳥なのでございます。断じて、悪魔の手先で、人々をまどわすためのことばではございません。おそれることはないのでございます」
お城のなかのあわただしい気配に、扇丸は、奥でなにかやっているのをかぎつけ、廊下からこれをのぞいていました。
「あれが、ものを言う鳥か」
扇丸は、もっと鳥が話すのを聞いてみたくてなりませんでした。
「しかし、気味が悪いものは、気味が悪い。その鳥以外のものは買ってやるから、置いて行くがいい」
「ありがとうございます」
そのとき、扇丸が、よちよち、部屋のなかに入ってきました。
「鳥がほしい」
扇丸は、鳥がほしい、鳥がほしい、と繰り返し、そのうちに、なぜだか涙が出てくるのでした。
鳥がほしい、鳥がほしい、鳥がほしい
わんわん泣きながら、声をあげているうちに、鳥が、まねをはじめました。
鳥がほしい、鳥がほしい、鳥がほしい
鳥がほしい、と、ふたつの声はかさなって、それがまた、まったく同じ扇丸の声なのでした。
殿さまは、ぞっとして、
「分かった、分かった。もう泣くな」
と、思わず、扇丸をだいて、鳥がほしい、と言うのをやめさせようとしました。
「分かった、分かった。鳥はおまえにやる。そんなに泣かんでもいい」
「本当か」
「本当じゃ」
扇丸は、妹をうしなって、ものを言う鳥を手に入れました。
それから、扇丸は、お城のなかであそんでいるあいだも、鳥のかごをいつもぶらさげているのでした。
扇丸は、どうしようか迷ったとき、ほんのささいなことでも、
「鳥、どうしたらいい」
と、かごのなかへ問いかけるのでした。しかし、
鳥、どうしたらいい、鳥、どうしたらいい、鳥、どうしたらいい
と、返ってくるばかり。それでも扇丸は、
「よし。そうじゃな。わしもそう思っておった」
と、まるで、鳥からなにかおしえてもらったかのように、礼を言うのでした。
殿さまは、どうしても、その鳥が好きになれず、あまり近づこうとしません。にゅっとまがった鳥の大きなくちばしが、にたり、にたり、と笑っているように見えるのでした。
ある日のこと、扇丸は、また、鳥にたずねたのでございます」
山は、しずかです。
ほんの少しの風にも、おおげさに枝をゆさゆさと振りまわし、葉と葉をこすりあわせ、さわぎたてる、お調子もののあたりの木々さえ、いまは、おとなしくしてします。
蝉も鳴きません。
おばあさんのお話を、みんな、すうと鼻息をたてれば、それでお話は吹き飛んでしまう、とでもいうように、しずかに聞いているのです。
おばあさんは、足をくずして、また組みなおしました。こてんと首をかたむけ、だまっています。
「どうしたの、おばあさん」
「ほ、ほ、ほ。忘れてしもうた」
「そんな。こんなところで終わっては、いけませんよ。まだ、はじまったばかりではありませんか」
「ほ、ほ、ほ。今日は、ここまで。また明日」
「また明日、おばあさんが来てくれるというのですか」
「いいや」
「じゃあ」
「まあ、落ち着きなされ。お話は、逃げないよ。
わしのすぐあとから、わしの妹が、同じ道をたどって、旅をしておりますのじゃ。
わしの妹は、わしにそっくりでの。わしと同じように、お話を売っておりますのじゃ。
明日、今日と同じ時間にここを通りかかり、きっと、同じように、休ませてくれとおねがいするでしょう。
そうしたら、妹は、同じように、お話をお聞かせして、休ませていただいたお礼をいたします。
つづきを聞きなされ。
妹は、わしの話したその先を、すらすらと語ってみせるでしょう」
「本当ですか」
「本当じゃとも」
「それでは、今日はここまで。明日をたのしみにしていることにしましょう」
「ほ、ほ、ほ。さてさて、お話のうちに、ばばもずいぶんらくになったようじゃ。まず、そろそろとまいろう。長々と、ありがとうございました」
「いいえ。わたしも、いい気晴らしになりました。また、どうぞ」
おばあさんは、杖をつきつき、あぶなげな足どりで、ふらり、ふらり、木々のすきまを、するり、するり、と去っていきました。
じりじり、じりじり、じじじじ、じじじじ
蝉の声が、よみがえりました。
いつもと同じ、山の奥の夏の昼間でした。
夢からさめたように、母親は、あたりのものがくっきりと見えすぎることが、変に思われました。
「あなた、明日も、ですって」
鬼は、うつむいて椀を見つめているだけでした。
「ああ」
「また、休ませてあげましょう。いいですね」
すると、ゆっくりと顔をあげて、鬼は、母親の目をのぞきこみました。
母親は、おや、なにか気にさわったのだろうか、と、思いました。
鬼は、
「いいぞ」
ぽつり、と、言いました。
そして、めしを食べはじめたのです。
母親は、なにか変だ、と、また調子がくるうような気がしました。
「扇丸は、五歳になっておりました。
目から鼻にぬけるような、とても利口な子供で、ときどき、家来のものたちをはっとさせるようなことを言うのです。
「どうして、いくさは終わらぬのじゃろう」
「世のなかが、みだれておるからでございます」
「いくさをするから、世のなかがみだれるのではないか」
「は。さようで」
「どうして、人を殺すのじゃろう」
「あらそうからですな。自分と、相手との言うことがくいちがうのです」
「なかよくすればいいではないか。くいちがわぬようになるまで、相談しろ」
「は。さようで」
なにもかもが、ふしぎでなりませんでした。
火はもえる。めらめら、高くのぼっていって、なんでも焼いてしまう。
なぜか。
水は流れる。さらさら、低く落ちていって、なんでも冷やしてしまう。
なぜか。
なにもかもが、ふしぎなのです。知りたいのです。
扇丸は、お庭で、鳥にたずねました。
「鳥、おまえは、どこから来たのじゃ」
「どこから来たのじゃ。どこから来たのじゃ」
「遠いところか」
「遠いところか。遠いところか」
「暑いところか」
「暑いところか。暑いところか」
「寒いところか」
「寒いところか。寒いところか」
言ったことを繰り返すことしかできない鳥でした。がっかりしました。しょせん、鳥は、人間ほどえらくないのだと思いました。
扇丸は、指で、鳥のくちばしを、こつん、とはじきました。
「おまえは、馬鹿じゃの」
「馬鹿ではないぞ」
はっとして、扇丸は、きょろきょろ見まわしました。誰もいません。
「馬鹿ではないと言ったのだ」
扇丸は、鳥に目を落としました。
「鳥か」
「そうだ」
「なんじゃ。ふつうに、しゃべれるのか」
「人というのは、言ったことをまねしてしゃべっておれば、びっくりして、げらげら笑って、よろこんでいつまでもやっているのだから、他愛ない。人というのは、馬鹿な生きものだな」
「鳥、おまえは馬鹿ではないぞ。馬鹿と言って悪かったな」
「まあいい。扇丸よ。おまえは、知りたがっているな」
「そうじゃ。どうして、犬はほえるのじゃ。どうして、猫は寝るのじゃ。どうして、魚は泳ぐのじゃ。どうして、花は咲くのじゃ。どうして、鳥は飛ぶのじゃ」
「待て、待て」
「どうしてじゃ」
「そんなに知りたいか」
「知りたい」
「なるほど。扇丸よ、おまえが知りたいのは、つまり、ふたつのことにつきるのだ。
生きる、ということ。
それに、死ぬ、ということ。
このふたつなのだ。分かるな」
「生きる。死ぬ」
「そうだ。そのふたつが分かれば、おまえは、すべてが分かったことになる」
「知りたい」
「それでは、おしえてやろう。
生きるということ。
死ぬということ。
どちらがいい」
「どちらか、ひとつか」
「そうだ」
扇丸は、考えました。
「生きる。死ぬ。いま、わしは、生きている。ということは、生きるということを知っておる。一度死んだら、死んだままじゃ。死んで、死ぬということを知ったら、もう、生きてはおられんのじゃ」
鳥かごを目のあたりまであげて、扇丸は、言いました。
「死ぬ、を知りたい」
「いいだろう」
かちり、ことり、かたり、と、なにかが音をたてました。なにかが、さっきまでとはちがう、と感じました。
かちり、と、碁石をそこに置いたようで、ことり、と、箸がころがったようで、かたり、と、歯車がかみあったよう。
どたどたと、廊下をさわがしい足音が近づいてきました。
「扇丸さま、扇丸さま」
家来のひとりが、お庭の扇丸を呼びました。
「扇丸さま。早く、おいでください。母上が、大変でございます」
扇丸の母親は、扇丸を生んでから、体の具合があまりよくありません。夏はがたがたふるえるほどに寒い、冬は顔がほてって汗がとまらない。寝たり起きたりを、繰り返しておりました。
扇丸は、奥の、母親が寝ているところへ、つれてこられました。
「つい、いましがたです。急に、心の臓が、どくんどくんと大波をうちはじめ、そうして、今度は、湖のようにないでしまいました」
扇丸は、鳥かごを持ったまま、母親のまくらもとに進みました。
母親は、ほそい、色をなくした口唇を、そっと開き、
「扇丸や」
「うん」
「おまえを生んで、みんなが、よろこびました。生まれてきてくれて、ありがとう」
「うん」
「かかさまは、もう、おまえが大きくなるのを見ていくことは、できんようじゃ。残念だねえ」
「うん」
「おまえに、ひとつ、言っておくよ。おまえが生まれる前に、腹の痛みで、気が遠くなって、夢うつつに、光りかがやく、立派な人の影を見た。
こうおっしゃった。
この子は、元気な、かしこい子だ。
天下をとるほどの大人物になるか、それとも、なにもかもうしなって、落ちぶれはて、失意のうちにひっそりと生を終えるか。
それは、この子の選ぶ道しだいで、どうにでもなる。
よいほうへ、みちびいてあげなさい。
とな。じゃが、かかさまは、もう、おまえをみちびいてやることができない。ととさまの言うことをよくきいて、夢のなかの立派な人がおっしゃったように、えらい大人になるんだよ」
ふっ、と、花のしぼむように、口唇があわさって、母親の影が少しうすくなったように感じたとき、もう、こときれていたのでした。
扇丸は、ぼうぜんとしていました。ああ、かかさまが死んだ、と思いました。死んだ、死んだ、かかさまが死んだ。
鳥かごのなかで、羽をばさりとひとつ鳴らして、鳥は、歌いだしました。
「生きるも死ぬも 思うまま
あっちは行くな こわい道
こっちも行くな 長い道
立ちどまれぬのが 人の道
よくよく選べよ もどれぬぞ
生きるも死ぬも 思うまま
あっちは行くな こわい道
こっちも行くな 長い道
すべてはおまえの 思うまま
すべてはおまえの 思うまま」
が、鳥の歌は、扇丸以外のものには、聞こえていないようで、あたりの家来たちをながめても、神妙な顔をして母親の死顔をのぞきこんでいるばかりでした。
扇丸は、母親をうしなって、死ぬということを知りました」