聖性を失わない程度に資本主義

 

平成から令和へ。

このタイミングで御朱印転売がクローズアップされました。いわく、記念の御朱印が、「適正価格」よりも高額でインターネットで転売されているとのこと。

この「問題」を考えて神社仏閣の理解が深まったので書き残しておきます。

神社さんもお寺さんも、資本主義のこの世界で、先立つ物なしに生きて行けません。神社仏閣の片脚は経済行為に突っ込んでいます。俗っぽいには違いありませんが。

一方で、神社仏閣のもう片方の脚は、経済行為とは真逆の領域に突っ込んでいます。神聖で厳粛で荘厳。このような神社仏閣の備える聖性に人は惹きつけられます。

だから「問題」がこじれる。俗な世界からは逃げられないし、聖なる世界に留まらなければならない。大げさかもしれませんが、聖と俗の境界線上に神社仏閣があるのだと思います。

「適正価格」をオーバーした御朱印転売は、その境界線を踏みにじり、神社仏閣を俗の領域に落とし聖性をけがす(と感じた人が多い)ので、耳目の注目を集めたのでしょう。

聖性を失わない程度に資本主義...むずかしいですね。

それでは。

 

 

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2019/06/09 7.10 ALIS 0.00 ALIS
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神社仏閣・御朱印アカウントです。ALISブログ(https://alis.to)でgoshuinista(ゴシュイニスタ)として活動。 「神社仏閣」タグまたは「御朱印」タグがついた記事は自動で拡散。
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  • abhisheka
  • 17日前

失礼します。僕は、大切なのは、教えの理解、修行による体得、自分の力だけでは超えていけない領域への信頼やゆだね、それが体得されたという証、それらを表現する経典や文芸やアートなどなどだと思っています。それらの思想・芸術表現や、行法によりそう指導力などが、すぐれているとき、その宗教者は敬愛され、お布施を多く受け取ることがありうると思います。ちょっとここでは言いにくいですが、御朱印は古い伝統ではないということと同時に、少なくとも始まったときは、納経や修行に対する「認め」のようなもので、行きさえすればお金で買える(お布施といえば聞こえが変わるのですが(;゜ロ゜))というものではなかったと思います。インドで修行したときもその時の「理解・体得・自己超越」こそ宝で、「物」としては何も持ち帰っていません。しかもそれは蓄積するものではなく、毎瞬更新するしかないものと感じています。

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  • elm13
  • 17日前

”聖と俗の境界線上に神社仏閣がある” すごくしっくりきます😊
聖と俗って色々なところで考えさせられることが多いですよね。

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