※オリジナルソース:Gifted note(https://note.mu/giftedsince2018/n/n3a846825671d)
仕事柄、こういった話は、イメージに影響が出そうなので、あまりすることはありませんし、Giftedのホームページに記事として出すのも抵抗があります。
しかし、一方でキラキラした話、いいところばかりなのも、ちょっと胡散臭く思われるかもしれません。
また、私自身、こうしたもどかしさ、人間らしさが結構好きだったりします。
なにより、こうした話をあっけらかんと話せるほうがカッコイイと思い、実験的に初めてみます。
「情けない話を笑い飛ばそう」、略して「ナサワラ」。
第一弾は、「4歳の娘に泣きついた話」です。
私は結構、勢いで突っ走るところがあって、独立も正にそれでした。
「早く独立したい」というより、「独立せずに今続けていることが耐えられない」というほうが正確です。
典型的な「勢いによる起業」ですが、今回の独立については、今までの人生で初めて、「他の人にどう思われても、本当にやりたいことがある」という感覚があり、それは今も変わっていません。
そうした覚悟を持って起業したため、独立時にも、「仮に自分の力不足で、家族から見切りをつけられることもあるかもしれない。ただ、それでも構わない。」と家族に説明していました。
しかし、独立して早々、いきなりその危機に直面することとなったのです。
ある日、真ん中の娘を、幼稚園バスへ迎えに行ったとき、かなり精神的に参っていました。
そのとき、私は初めて事情を娘に話しました。
今思うと、上の小学生の息子や、保育園の末っ子は出ていたため、真ん中の娘と私だけという状況だからこそ、話せたのかもしれません。
今まで、物語などに感動して、子どもたちの前で泣くことはあっても、事業が立ち行かないことと、そのせいで、離れ離れで暮らすことになってしまうかもしれないと話したのは初めてでした。
状況を説明している内に、私は泣いていました。
そして、娘に話しながら「まだ終わっていない。まだジャッジが下されたわけじゃない。そのときが来るまで、全力で今を大切にしよう」と誓った日でもあります。
そんな号泣しながら、娘に抱きついていたとき、娘が言った言葉は、衝撃的でした。
「パパ。だいじょうぶだよ」
娘は、このとき年中です。
恐らく、ボクがした説明は、それほど分かっていなかったでしょう。
それでも、こうしたことが言える娘に私は、感動していました。
私は、娘のこの言葉で救われました。
あぁ、私が愛する「プリキュアの美しい魂」を、この子は確かに持っているのだなと。
あ、プリキュアの素晴らしさは↓の記事でアツく語っているので、よかったらどうぞ。
自分の状況に関係なく、相手に優しい言葉をかけられる心を、この子は持ってくれたんだなということに、どれだけホッとしたか。
だから、本当にもう一緒に暮らせなくなったとしても、「この子は大丈夫だ」と思いました。
自分の子どもに、親がネガティブな未来を話すのは賛否両論だと思います。
また、現実的には、考え方だけでは行きていけず、養育費や教育が必要でしょう。
ただ、ボクが思ったのは、「自分が嫌だ」と思っているものを、隠し通して分からないようにするというのも、抵抗がありました。
「自分の弱み、見せたくないところ」を信頼している人に、どう出せるかというのも、私は非常に大事だと思っています。
とは言え、まずはそうした悲しい未来にならないために、家族に辛い思いをさせないために、なにより、子どもたちが自分の好きなことを思いっきりやれるように、全力で突っ走っていきたいと思います。