10月17日(土)
小学校の時、図画工作の時間は割と好きで
「小学〇年生」という雑誌の付録についてくる工作キッドみたいなのを組み立てるのも好きでした。
「谷折り」とか「山折り」とか「のりしろ」とか薄く書いてあるのを、
作っていくうちに、だんだんとその意味を理解した気がします。
のりしろが少ないと、
のりをうまく塗れない、かつ、接着面が少ないから、
すぐはがれてしまってうまく作れないことも多々ありました。
でものりしろが多いと、
安心してノリを塗れて、親指と人差し指でしっかりくっつけられる安心感がありました。
この、のりしろが多いと強く支え合えるっていうのは、
人間関係もおんなじだなあ、と思います。
今、「〇〇しろ」という言葉は色々あって、
漢字で書くと「代」になりますが、
意味は、
「〇〇できる“余白”」
が近い思います。
ちなみに
“伸びしろ”っていう言葉は、
数年前に、
じゅんいちダビッドソンが本田選手のものまねで、
「伸びしろですねえ!」
って言っていました。
私は、本田選手の真似をするじゅんいちダビッドソンの真似をする、
クラスの生徒のものまねが一番好きでした。
何回もやってもらいました。(^O^)/ははは
で、工作で言うと、
のりしろは、面と面を強く支え合う部分です。
伸びしろは、個人と成長をつなぐ部分。
伸びしろが多ければ多いほど、成長する。
で、人間関係で言うと、
人間関係を強くつなぐのが、
「助けしろ」
なんだと思います。
だから、
「助けしろ」が多い人ほど、
誰かと強く繋がれる。
「助けしろ」の無い、
「何でも自分で出来ちゃいます」と見えちゃう人は、
誰かと強く繋がれないかもしれません。
現代、
インターネットが普及し、
さらに
「人に迷惑をかけてはいけない」
という風に育てられてきた私たちは、
もともと全員が多分に持っている「助けしろ」を、
無意識に隠してしまっているから、
誰かと強く繋がりたいのに、繋がれない。
みんな長所も短所も持って生まれてくるのは、
人が人と強く繋がるための
「助けしろ」をお互いに持っているということで、
だから、
「これ、出来ない!助けて!」
って言える人が、
人と強く繋がれる。
そして同時に、
「これは出来る!だから助ける!」
って手を貸せる人が、
助けられる。
これからの時代・・・
なんて言うと変な感じで、
むしろ人間は「助けしろ」ばっかりの生き物なんだから、
もっと、自分の「助けしろ」を多く見つけて、多く見せて、
みんなが強く繋がれたらいいな、
と感じたのでした。
かくいう私は、
小学校から高校、大学と、
「助けしろ」しかない、そんなヘタレな自分が嫌だと感じてて、
いつも必死に、1人で「できる」ようになりたいと頑張ってきて、
でも、
何もないところでつまづくし、足し算平気で間違えるし、
テンパるのがお家芸だし、
人と過ごしていると、
どう頑張っても、「助けしろ」を隠せない人間です。
だから、人に会うと、
「助けられる才能」
みたいなことを褒めて頂くことも多いです。
同時に、
「もっと人を頼っていい」
「もっと人を巻き込んでいい」
とアドバイスを頂くことも多い。(^-^;
やれやれです(^-^;
人と会わないことには、
「助けしろ」も見せられないから、
会うということの意味はやっぱり重要。
学校の意味のひとつに、
“「助けしろ」で人と繋がる”
があると思っています。