少し前に、小学生ユーチューバーのゆたぼんが話題になったとき、
彼が沖縄サドベリースクールに通うと言っていて、
ここで初めて、“サドベリースクール”という言葉を知った人が居たのではと思う。
サドベリースクールと調べると、
「子どもたちの自由に」なんて意味合いの言葉が多く出てくる。
『自由教育』という言葉に関しては、
既存の教育に対して、
対立構造ではなく、
そのもの自体の本質を見つめて考えるべきだと思う。
既存の教育に対して、『自由』であるというわけではない。
授業や時間割がないから、『自由』というわけではない。
校則がないから『自由』というわけではない。
なんだか、『自由』にさせることによって、
子どもはわがままになり、
厳しさの欠如によって社会に適応できない人間に育ってしまう
のではないかという議論は、
授業や時間割や、厳しく叱る教師がいないと、
子どもはわがままになり、
厳しさの欠如によって社会に適応できない人間に育ってしまう
ということと近い気がする。
A.S.ニイルというという人がいる。イギリスのサマー・ヒルスクールの創設者だ。
自由教育についてニイルは、
自由とは単に圧制、束縛等から解放する意味でなしに、自分で自分を統御し、自分自身の生活をいとなみうる真の自由人となることを意味する。それゆえに自由の子ども(free child)は結局において、自律の子ども(self-regulated child)であらねばならぬ
と言っている。そして、
憎しみは憎しみを育て、愛は愛を育てる。しかして、いかなる子どもも愛によらずして救われたためしがない。
とも言っていて、教師が叱責したり訓戒を与えたり罰を与えたりすることはしない。
子どもたちを『自由』にさせては、ルールを守れない人間になるのか、
子どもたちを『自由』にさせては、わがままな人間になるのか、
子どもと関わる大人は全員、
そして特に教育現場の先生は、ここにじっくり向き合うべきだと感じる。
きっとそれが、これからの学校が変わっていく為に、すごく大切なことだと思う。
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2019.7.11.
教育理念として、サドベリースクールの在り方、
いわゆるデモクラティックスクールが、私の実現したい教育のあり方だと感じ、
4月から全国のデモクラティックスクールを見てまわった。
そこで見る、子どもたちが参画する学校の在り方というか、
純粋に、とても感動したのを覚えている。
デンマークにも行って、本当に色々な教育に触れたけど、
想いは変わらない。
子どもたちの時間は、子どもたちのもの。
この位置で、いつも子どもたちに寄り添い、
教育を考えたい。
※全国のサドベリースクール研修の記事は内容が濃すぎて10投稿を超えていたので・・・
気が向いたら、投稿します。