2月17日(水)
毎週水曜日は、数学ネタを書いていたのだけど、
今日は、別のことを書こうと思います。
もう、1年半ほど前から、
(ちょうど学校をゼロから考える会くらいから)
ホームスクーリングという形で、毎週1回お家にお邪魔し、
小学生の女の子との時間を頂いています。
なんだかんだ、小学3年生だった彼女も、今年は小学5年生になります。
そう考えると、最近のホームスーリングの中で話すことが、
すごく変わって来ていて、
悩んだり、色んな葛藤をしたりしていることが、
成長の証なんだな、と感じます。
このブログでは度々、
エリクソンの発達段階について触れています。
私は、発達段階5,青年期に寄り添いたいと思っています。
“青年期”のアイデンティティの混乱の時期に寄り添うのが、
AKIU SCHOLĒ だったりします。
でも、高校生に向き合ってきて、
退職してからは、
小学生にも、中学生にも向き合う機会を頂いていて、
改めて感じたことがあります。
それは、
子どもたちそれぞれに、
生きるスピードがあるということ。
多くの人がそうであるという統計やデータは、
絶対では無くて、
アイデンティティの混乱が、
早い生徒も居れば、遅い生徒も居ます。
ここに良い悪いは無くて、
生徒たち自身の、人生のタイミングです。
でも確実に言えることは、
人の成長に必ず訪れる混乱の時期、すなわち、
親(他者)によって作られた自我から自ら作る自我へと変わりゆく時期に
しっかり向き合わず、自ら自我を作れないと、
「自分って何なんだろう」
「どう生きたら良いんだろう」
「自分は何がしたいんだろう」
このようなモヤモヤを、抱え続けることになります。
特に日本人は、よく働き、超寝不足の国民です。
レールの敷かれた教育の中で、自我を確立できなかった人も居るけれど、
改めて「自分とは」にじっくり向き合う時間をとる余裕もないのが現実です。
だから、10代に訪れるこの混乱に、
混乱した時に、しっかり向き合って、
「自分が作る自分」
を確立させることが、大切です。
ホームスクーリングで共に過ごしている彼女は、
まだ小学4年生ですが、
アイデンティティの混乱を迎えているなあと感じていて、
今日は、
彼女のお兄ちゃんも一緒に、めちゃくちゃじっくり、
約2時間も、
★アドバイスはいらない
★「夢」はない
★自分に言い訳はしたくない
★才能の言葉で片付ける人嫌い
★楽しい気持ちをなくしたら続けられない
★“なった人”と、“なっていた人”の違い
★思う気持ちが才能
★理想が高い自分
★埋められない差にモチベーションが下がる
★本当に自分はこれをしたいのかな?とすら思ってしまう
などなど・・・・
毎日の生活の中で感じるたくさんの葛藤、
「夢」に邁進する一番近い存在であるお兄ちゃんの存在を、
応援しているけれど一方で、
だんだん遠くなっていくようなその背中に焦る気持ち、
そんな話を聞かせてくれました。
お兄ちゃんも一生懸命聞いてくれて、
本当に真剣に、
彼女自身の葛藤に向き合いった2時間でした。
まだ、小学1年生の弟君は、
その激論の横で、
こちらに見向きもせず激しくゲームに没頭していて、
それもまた、発達にはめちゃくちゃ大事な時間です。
なんだか、
“成長”って、本当に尊いな・・・・・
と、この時間に居られたことを心底有難く感じました。
こうして話した時間は、
彼ら彼女らの血肉になります。
誰にも奪うことのできない、
彼女の「意思」になっていきます。
そんなことを考えながらお家を後にして、
車の中でもずーっと思いを巡らせていて。
哲学者のエピクテトス先生の様々な言葉が頭をよぎりました。
今日は、
奴隷であり体が不自由、不遇の哲学者エピクテトス先生
の言葉でしめくくります!〆
病気は肉体の妨げではあるが意志の妨げではない。
跛は脚の妨げであるが意志の妨げではない。
なにごとにもそう自分に言い聞かせるならば、
きみはどんな障害に出くわそうとも、
それらが自分のではなく、
なにか他のものの妨げであることが分かるだろう。
自由な意思は、盗人の手の届かない宝である
できるかぎりみずからの幸せが外物に左右されないように生きること、
それこそが 哲学の本質 である。