2019年という1年を振り返る。
【1月~3月】
◎1月
まだ教師で、クラスの生徒のことで年始からパタパタと動いていた。
悔しさや、もどかしさをぐっと噛み締めて、
目の前の生徒とまっすぐ向き合った。
毎日毎日、たくさんのことを感じて、全部日記に残していたけれど、
その日記のデータも、この春に消えてしまって。
文字で思い起こせないけれど、1月、メラメラ戦ってた。笑
一つ、記録として残っている毎週書いてた学級通信は、
残りの学級通信で、生徒たちに何を伝えられるか、何を伝えたいか、
毎回考え抜いてた。
◎2月
退職の手続きを、進め始めた。
1月下旬ころかな、最終的に、どうするって話を校長として、
職場の誰にも、言わずに、
退職の書類をそろえ始めた。
同じころJWLIの選考書類を作り始めて、
前任校の信頼のおける先生にメールをして推薦書を書いていただき、
カメルーンにいる盟友に添削してもらいながら応募した。
4月からのボストンを信じて、
子どもたちの指導要録を一人一人、泣きそうになりながら作りはじめて。笑
あっという間に2月が過ぎた。
◎3月
卒業式があった。
高校2年生のクラスの子どもたちの、
「来年は、先生号泣だね」
の言葉に心震えて、何も返せず、
車の中で泣きながら帰るという、、、笑
教師としての私は一瞬一瞬が最後だから、
前任校の卒業式にも顔を出しに行った。
もちろん、誰にも退職のことは言っていなかった。
私は、生徒たちの笑顔溢れる現場が間違いなく大好きで、やっぱり生徒たちが、
私の生きる力だった。
そして、クラス最後の日に、
一人一人に学級通信を書いて、渡しながら、既に泣いている私にみんな笑っていて、
そんな中、みんなに退職することを伝えた。
みんな空気が止まって、
「俺たちのせい・・・?」
の言葉に、それだけは違うと、
私は、学校を創りたいんだということを正直に伝えた。
そして、離任式。
子どもたちの想いが嬉しくて、
この子たちと過ごす日常は無くなることが寂しくて、
とにかく、ただ泣きまくった。
最後のバドミントン部との活動の日も、
泣いて泣いて、
アパートに帰ってからも、一人で泣いた。
メンヘラ。笑
改めて、こんなに素晴らしい仕事はないと心から感じた3月。
こんなにも人間的で、複雑で、難しくて、面白い仕事は私にとって他にないと感じた3月だった。