日の出の巻より。
第八帖 (二二一)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。十二月七日、ひつくのかみふで。
今も変わらず、日々日月神示を読んでおります。
漢方などと同じく何度も読み理解してくると面白ことが分かってきます。
漢方含めとにかく勉強や理解するたびに何故か色々と分かってきます。
漢方や中医学をかなり理解している方も同じようなことをおっしゃいます。
さて何度も読むことや新たに理解することで別の視点から見ることができます。
実際この日月神示8通り読み方があると神示内で書いてあります。
さて、自身が興味があることの一つは病であります。
これだけは切っても切り離せないということで色々な視点でも読んでおります。
この内部では、血は霊であるとも述べられています。
知は神経なんてことも・・・。
しかしながら意外と理解できる理屈なのかなとも思っております。
この辺のことは別の記事で書きたいと思っております。
今回は、一二三の食べ物、食べ方になります。
といいつつ、一二三の食べ物については多分書いてなかったように思えます。
見逃している可能性はありますが。
しかしながら分かっていることはいくつかあります。
四つ足を食べない事(牛、豚等)。
鳥に関しては微妙かなとも思っています。
実際、神に供えれば何を食べてもOKということになりますが困ったときは神棚に供える必要があるかと思います。
霊の食べ物となると、
野菜、穀物だったと思います。
また遠くて近いもの、近くて遠いものがよいとされています。
地産地消や進化の過程で遠い生き物が良いという感じです。
一二三の食べ方は、そのまま四十七回噛むことになります。
ただこれは他の視点から見てもやはりやる必要があるとは思っております。
唾液にも消化酵素が入っておりますので噛めば噛むほど良いと思っております。
消化の意味でもですが。
心の病は一二三を唱えることで治ると書かれております。
一二三祝詞を書くと、
ひふみ、よいむなや、こともちろらね。
しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか。
うおえ、にさりへて、のますあせゑ ほれけ。
これが一二三祝詞になります。
ゐは発音的には「うぃ」、(いと読まれたりします)。
ゑは発音的に「うぇ」になります(えと読まれたりします)。
実際治るにしてもそこそこ時間がかかるとも書かれております。
もうお肉をやめて1か月以上過ぎましたが、
かなり快調であるように思えます。
以前よりは確実に楽であるのは間違いありません(精神的においても)。
興味深い所は、
「穢れは気枯れ」であるということです。
血は霊であります、ここにもかかってきます。
血(ヘモグロビン)を作るには「タンパク質(アミノ酸)」と「鉄」が必要です。
さてこのアミノ酸、四つ足である場合「共食い」になります。
このような視点で見てみると、
かなり理にかなっているように個人的に思っております。
今回はこれくらいで。