何かを始めようと思ってこの街に来たという訳ではない。時代の流れに乗っかって気がついたらここにいた。ここに骨を埋める覚悟もない。やがて別の場所にたどり着くはずだ。これからもいろいろな風景を見ることだろう。そのたびに何か輝くものに喜び、暗闇に凍り付くはずだ。
流浪の根無し草の漂流記をしたためておかないか。そんな声がどこかから聞こえてきた。それに意味があるのか、ただの時間の無駄か。妄想の果ての愚行か。それはいまは分からない。何しろ流され続けているばかりで基準となるものがない。地図もないので一体どこにいるのやら全く分からない。
でもいま見える風景をスケッチしておくことに何か意味があるように思えるのだ。いまは無価値なものでもここを離れてしまえばだんだん貴重なものになってゆく。
だから僕は時々スケッチブックを広げることにした。稚拙な画法を今さら隠しても仕方がない。描き続けるんだ。ある科学者の統計によれば一日3時間の練習を10年続ければそれなりの評価が得られる存在になるのだという。だから描くんだ。書くんだ。