LGBTには何の偏見もない。
というのも、自分自身、中学生ぐらいの、性に目覚めた頃、バイセクシャルなところがあったと思い起こす。
かっこいい先輩とか、子どものかわいさの残っている同級生などにセクシャルな衝動が少なからず動いていた気がする。
特にかわいい同級生男子とは、家に遊びに行ったときなどに、「フリーセックスごっこしよう」と言って、ベッドの上で「フリーセックス! フリーセックス!」と二人で叫びながら、抱き合って転がって遊んでいた思い出がある。
それでも、女子に恋をして、初めて今度キスする約束をしたとき。
そのとき、僕はそのかわいい男子に「練習させて」と言った。
近所の大きな池のほとり。
夕暮れ迫る頃だった。
「どう考えても鼻があたる気がする。斜めにするんかな? 一回やってみな、わからん。練習させて」と言った。
フリーセックスごっこには、はしゃいでつきあってくれた彼だったが、さすがに「あかん。あかん。彼女とやってみるしかないやろ」と言って断られた。
それがいつの頃からか、同性愛は自分の中からだんだん剥がれて落ちていき、異性愛だけが残った。
今思えば中学生の頃は、何もかもが未分化で、僕は生涯通じての本物のバイセクシャルの素質ではなかったのだと思う。
未分化なときだけ、そういうものも少しあったが、やがて分化しながら発達していき、片方だけが残ったのだと思う。
大学生の頃、旅でニューヨークに行ったとき、高校時代の友人でニューヨークに住んでいたやつに電話連絡した。
部屋に泊まれるか?と聴くと
「それがあかんねん」
「彼女と住んでるのん?」
「うーーーーん。君は偏見ないと思うから言うけど、聞いてくれるかな?」
「うん。たぶん、僕は殆ど何にも偏見はないよ」
「実は僕はゲイでね。男どうしで暮らしてる。それに部屋が狭いから、ちょっと無理かな」
結局彼には食事だけおごってもらった。
ワイン屋さんに先に行って、好きな銘柄を買い、店に持ち込んで料理を注文して飲めるといったシステムで、へえ、そういうのがあるんやと教えてもらった。
ごく最近、台湾で同性愛の婚姻が認められる法案が成立したというニュースを聞いた。
すでに500組以上のカップルが婚姻届を出したという。
台湾はやっぱりアジアでぶっちぎりの民主国家ではないかと思った。