不思議なことがひとつある。僕が臨死体験して「覚醒しているが自我の存在しない絶対無」になっていたとき、自分もまったく同じ状態になったと言っている人が何人かいることだ。
そのとき僕にチューニングして祈ってくれた人の中に、そういう人が何人かいる。ある人がそのとき自分は「覚醒しているが自我の存在しない絶対無」となったあびさんと対話していたと思うと言っていた。
だが、僕にしてみれば、そのとき僕は誰とも対話していなかった。ただ宇宙のすべてに浸透していた。対話というのは、分かれないとできないので、すべてに浸透すると不可能なのだ。だが生きている者には個があるので、自分にも浸透している死者と対話が可能だと思う。感じるということが。
これで僕にわかったことは、生者は死者と対話できるが、死者にはそれはできないということだ。死者はすべてに浸透して覚醒しているだけで、実際、それを死者というのもおかしい。無といったほうがもう少し正確だ。
僕はその人にも浸透していると同時にその人の座っているベンチにも、傍らの木にも、地面にも、空にも、雲にも、月にも、星にも、すべてに浸透していたのだ。
これは生の世界に戻ってきたからコトバでそのように語るのである。