翌日、遺体を葬儀場に運びこむため寝台車の迎えが来た。葬儀屋が二人で抱え持った時、父の脚はぴんと張ったまま、垂れることはなかった。死後硬直が確実に進んでいるのを目の当たりにした。
父を寝台車に運び込むと、葬儀屋は後片付けのために部屋に引き返していった。
僕は寝台車の中で父と二人きりになった。父が死んでから、こんな風に完全に二人きりになるのは初めてだった。
今なら誰にも聞かれることがないわけだし、恥ずかしいことも言える。試しに「お父さん、ありがとう」と小声で言ってみた。すると不覚にも涙がこぼれだした。それとともにたくさんの思い出が湧いて出た。
僕の幼いころ、家庭での父はいつも居間にごろごろと寝そべっていて、遊んでもらった記憶はあまりなかった。
あれは、四歳の頃だったか。一度だけ、テレビで「ウルトラマン」を一緒に見た後、父が片肘で頭を支え寝転んだまま「おとうさんがさっきの怪獣や。ウルトラマン、来い!」と言ったことがあった。
僕が飛びかかっていくと、父は寝そべったまま足だけを開いたり閉じたりして、「がーがー」と怪獣の鳴き声を真似た。僕はその足にしがみついて「えい、えいっ」
と叫んだ。
かと思うと、すぐに父は「もう終わりや」と言った。あっという間の出
来事だった。
こうして遺体の横で振り返ってみると、生涯の何もかもがすべてただ一回限りの出来事だったのだとよくわかるのだった。人は、取り返しのつかない場所まで来て振り返ったときに初めて、なにもかもがただ一度きりの出来事だったと気がつくものなのかもしれない。