古い投稿(韓国系のFBグループへの)を改稿したものです。
先日、日本では婚姻における選択的男女別姓が最高裁で認められなかったことが、話題となりました。
日本における家父長制度に基づく男女差別の根強さを表しており、フェミニストはとても怒っています。
ところで、韓国では婚姻しても男女別姓ですが、これはむしろ女性差別のため女性が男性の籍に入れないためと聞いたことがあります。
韓国では儒教に基づく伝統的な男女差別が今も日々の生活の中に残ると聞きます。
あるとき、僕は韓国人女性の友人に聞きました。
「女性が性的オーガズムを迎えるとき、日本語ではイクといい、英語ではCOMEというけど、韓国語では何というんですか?」
答は「うーん。何も言わない」
というものでした。
「え、なんで?」
と聞くと
「韓国では女性がオーガズムを迎えて叫ぶことは、はしたないとする古い儒教道徳が残っている」
という説明でした。
「じゃあ、あなたも何も言わないんですか?」
「私はいいのよ」
「え、なんで?」
「夫が日本人だから」
あっ、そ。(;゜ロ゜)
また僕は女性K-POPシンガーが好きですが、日本で文化的な韓国系のお祭りを見学に行くと、男性K-POPシンガーは若い人が出てきて、日韓のおばちゃんらが騒いでいます。
しかし、女性は伝統的衣装に身を包んだ伝統芸能の人が出てくるけど、若くてはじけた女性K-POPシンガーが出てこないことが多いです。
ここに僕はひとつの分裂を感じます。
ひとつには表舞台では女性は伝統衣装に身をつつみ、伝統芸能をしていなさいという意味での男女差別。
もうひとつは逆にいったん女性がセクシャリティをアピールしはじめたときには、男性に媚びることを要求されるため、一部の女性K-POPシンガーやそのコピーグループは、過激なセックスアピールに走り、文化的お祭りに向いてないほどになってしまっているという点です。
この件についてはもうひとつ経験があります。
生野区の朝鮮学校の見学に行ったとき、女性の教師は皆、チマチョゴリを着ていました。
ところが男性の教師は皆、西洋風にスーツを着ていたのです。
これについて僕は学校長に質問しました。
「これはなぜなのですか」
答は「今までそれについて考えたことはなかった」というものでした。
僕の考えでは、考えたこともないほど当たり前になっていることの中に、見えない差別があります。
女性は伝統的な衣装を着ていなさい。
男性は欧米風にしなさいということが無意識のうちに文化土壌に染みこんでいるのではないかと思いました。
そんな朝鮮半島で、이효리 の 미스코리아 はひとつの劃期だったと思います。(下記動画)
女性が自分の側からセクシャリティを解放していいんだという自己主張をしているように見え、(媚ではなくアピールではなく、解放)敬意を覚えます。
この動画を見ると、2分3秒で、ドレスを着た美しい이효리 の傍らに伝統的な衣装を着た家父長的な男性が座っています。
朝鮮学校で見たのと立場が逆転しています。
後半になるとバックダンサーにニューハーフが混じり、カラーになったラストは、이효리とニューハーフのバックダンサーで終わるのも秀逸です。
僕はこれは非常に意識的に作られたPVであり、儒教道徳を打破した女性のビューティの高らかな宣言のように見えます。
このような、媚びではなく女性解放であるようなアートがまだまだ韓国では端緒についたばかりのように感じます。
翻って考えると、男性K-POPシンガーや、韓流ドラマなどもパターン化した大衆文化から、芸術性の高いものに突き抜けていないようにも思います。
朝鮮半島の伝統文化と、アメリカや日本のコピーやそのさらなるパターン化や過激化としての韓流やK-POPに、韓国の文化シーンは分裂している状態とは言えないでしょうか。
しかし、中には見事に洗練されたものもあるので、なかなか状況は複雑です。