寝取られ考

 小説でもAVでも寝取られ物というのがある。

 その本質についの考察をメモする。

 たとえば、妻を寝取られるという筋によって、妻が女そのものとなる瞬間。

 このときに、夫はその女そのものになる能力に嫉妬しつつこの上なく「感ジル」。

 大事なことはそのエッセンスとして起こっていること、すなわち、名前や役割や肩書きを離れて女そのものになるという飛翔は、寝取られなくても起こるということだと思う。

 つまり、自分とパートナーがセックスしているとき、その絶頂において、パートナーが関係性を越えた絶対領域にまで昇りつめる。

 このとき、パートナーは自分と関係を結んでいる特定の個人を越えて、女そのものになる。

 そのとき、女そのものになれるその能力に、男は「嫉妬」に似たものさえ感じる。
 

 しかし、だからこそ自分も男そのものとなって、突き抜けた絶頂に逝く。

 これは第三者が介在しなくても起こること。
 

 ただそれが二人だけで起こっているとき、それはストーリーではなく、詩である。
 

 もし、その詩を書くことがうまくいかなければ、女そのものとなるというシチュエーションを設定したストーリーが必要になってしまう。

 このときのひとつの安易な設定が寝取られ物なのだ。

 しかし、これには生半可でない伝統もある。
 
 D・H・ロレンスも書いているし、韓国現代小説集にも人の生死や戦争や政治をテーマにした重厚な作品に並んでそういう作品があった。

 けれども、忘れてはならないのは、そのエッセンスは本当はポエジーであって、シチュエーションではないということだと思う。


 

公開日 いいねによる獲得 投げ銭による獲得 サポーター
: : :
2019/06/08 13.07 ALIS 0.00 ALIS
abhisheka's icon'
  • abhisheka
  • @abhisheka
10代より世界放浪。様々なグルと瞑想体験を重ねる。53歳で臨死体験。著書等のALISストアは、https://alis.to/abhisheka/articles/K5xGJzxZxVmE
コメントする
コメントする