2013年1月14日 FACEBOOK
けれども、遠いところから、ただ観念的に体罰はダメだと言っている人にも、実は、ある種の想像力の欠如があるような気がする。
たとえば、昔、こんなことがあった。
その生徒は勉強はあまりできなかったし、しょちゅう問題は起こしたが、人なつっこく、楽しく学校生活を送っていた。
けれども、在日韓国人のお父さんが亡くなってからは、気持ちが荒れているように見えることが多かった。
そして、卒業式。彼は「卒業見舞い」にとある(ほとんど関係ない)先生の自家用車をボコボコにして出ていった。
それがわかって、学校に呼び戻され、相談室に連れてこられたK。
「なんでそんなことしたんや?」とあびが話していると、そこへT先生という人が勢いよく入ってきた。
そして
「オレは、ずっと、ずっと、お前を見てきた」
と言いながら嗚咽しはじめた。
T先生は在日韓国人の奥さんと結婚しているので、彼自身の子どももこの国でアイデンティティの揺らぎに悩んでいるのはよく聞かされていた。
だから、「オレはお前をずっと見てきた」というこの言葉の意味があびにはわかった。
T先生にはKに対する万感の思いがあったのだ。
「だけど、だけど、おまえは、お父ちゃんが死んでから、ほんまに根性が歪んでしもたんかー」
とT先生は叫び、泣きながらKを殴り始めた。
Kは逃げもせず殴り返しもせず、むしろT先生に近づいていって棒立ちになっていた。
そして
「おおお、痛いのう。痛いのう」と言って泣きながらT先生に抱きついていった。
そして二人はそのまましばらく抱き合って、おいおいと一緒に泣いていた。
このエピソードは体罰肯定論ではない。
むしろ体罰全面否定論だ。
ただし、人間存在についての想像力の欠如に対しては、常に気をつけていたいだけだ。