さて、蟹を食べに丹後に行った僕が寄りたいと言い出した但東町のモンゴル博物館で、たまたま聞いたのが、大阪大学のモンゴル学の教授、今岡良子先生の講演であった。
まず目を見開いたのは、子どもたちの教育のために自分たちの集落に学校の分校を作ろうとしたモンゴルの人々がひとつのパオに集まって、そのための話し合いを持ったということの、ビデオによる紹介だった。
民主主義を私たちは古代ギリシアなどヨーロッパの伝統から来たものと思っている。だけど、世界中でそれは人類がやってきたことと今岡先生は言った。
友人の星川淳が「魂の民主主義」でも触れているように近代ヨーロッパの民主主義とはむしろネイティブアメリカンのイロコイ族から学んだものが大西洋を何往復かするうちにねりあげられたものだという研究もある。
今岡先生はそれとは一応無関係に、自分の見聞の中から同じことを考えた人のひとりなのだと思った。
次に感動したのは、こうして分校ができ、勉強した人たちの多くが、深い学問的力を持っていたという話である。
いやそれよりも、彼らは12,3歳までは、遊牧民族の暮らしをしていたわけなので、その技術は基本的に身についているという話である。
彼らはまだ勉強したいと思っているし、留学もしたいと思っている。けれども、彼らはいつでも、世界の経済システムを離脱して、自給自足の生活に戻る力がある。ということの紹介だった。
どっちでもいける!
そんなに強いことがあろうか。
しかし、そんなモンゴルにも例によって例のごとく、ユダヤ資本が忍び寄ってきている。
狙われているのは地下資源だ。
モンゴルが今後、完全に世界の経済システムに組み込まれてしまうのか、それともそこから自由な循環経済の中にありながら、学問や芸術の力を生かして、オルタナティブな社会を創っていけるかは、これからにかかっている。
僕はそう感じた。
そして12,3歳までに循環経済の方法を学ばなかった僕たちも、実は同じ課題を、逆の側から背負っているのだと感じた。
余談
驚いたのは、アシスタントとして、大阪大学の大学院生が何人か来ていた中のひとり(=椅子に座っている赤い服の女子学生)が、会ったことのない中国人(内モンゴル)の留学生のFACEBOOK友達だったことだ。
話しかけるとやはりそうだった。
今岡先生とはこの日、初めて会ったが、今も交流は続いている。(その後の図)