naokiさんの挑戦に習って、提案された後、ほとんど記事の書かれていないカテゴリーの記事を書いてみます。
今日はリハビリ。
何回か言いましたが、僕は原因不明の心室細動で(心筋にセシウムが溜まったせいではないかと疑っているのだが)、一三分間心拍停止しました。
救急車のAEDで心拍だけは戻ったものの、呼吸は戻らず、人口呼吸器を装着されて病院に搬送されました。
ICUで過ごす中、家族は「死ぬか、植物人間である」と説明されていました。
(そのかんに経験した臨死体験は別原稿に書きました。)
ほぼ誰もが絶望していたらしいのですが、一〇日目に僕は意識と自発呼吸を取り戻したのです。
一般病室に移り、しばらくはただ回復を待つのみでしたが、少しずつ動けるようになってきました。
そして病院内のリハビリテーションの部屋に通うように指示されました。
しかし!
そこで寝台のようなものに寝かされ、少しずつ角度をあげていき、体を縦にするなどして、大丈夫ですか?と何度も確認されて、なんだかばかばかしくて。
「あのう、僕はもう手すりをもって病棟内を歩いています。こんな訓練はいりません」
結局、何度か通ううち、リハビリの先生と話し合って、そこでのリハビリは受けないことに決めました。
僕は主治医にアレキサンダーテクニークの優秀なトレーナーが友人にいるから、自費で病室に呼び、リハビリしたいと申し出ました。
ところが、主治医は病院外から誰かを呼んでリハビリすることはままならぬというのです。
そんな規則はナンセンスだと僕は言いました。
ここでも決裂して、結局、僕は「じゃあ、退院します」と言いました。
こうして僕は残りの入院生活を病院のいかなる公式のリハビリも受けずに過ごしたのです。
が、看護師さんの中にはとても親切な人がいました。
朝、その日の僕の担当の看護師さんがわかります。
検温、血圧測定などに来て、今日は私が担当ですと言います。
その時、「今日時間が空いたとき、中庭を(手を繋いで)一緒に歩いてみましょうか」とか、
「手すりを持って階段を昇る練習をしてみましょうか」と言ってくれます。
そして本当に午後、少し時間の空いたときなどに呼びに来て、実行してくれるのです。
あるとき、手すりを使いながら非常階段を昇る練習をしているときでした。
私は後ろから付いてきてくれている華奢な看護師さんに聞きました。
「今、僕が転倒して転げ落ちたらどうなるんですか」
彼女はこともなげに言いました。
「私が受け止める」
「自信ある?」
「自信ある。訓練されている」
かっこいいなあと思いました。(もしかしたら安心させるためのはったりだったかもしれないけど。)
これは病院の公式のリハビリではなく、勝手にしている。
そこで事故が起こったら誰の責任になるのだろう。
わからないけど、この看護師さんは、「私が受け止める。自信ある」と言った。
こういうの、今の日本では、どんな職業のどんな分野でも殆どなくなっているんですね。
マニュアルから外れず、責任は回避する。
結局、その「マニュアルから外れず、責任を回避する」件で、僕は病院側といくつもの決裂を繰り返してきたのだなあと思いました。
でも、第一線で患者と接している看護師さんは、それを越えている。
私にまかせなさい。
責任は私がとると言っている。
僕はちゃんと目標までの階段を昇り終えました。
「ありがとう」と看護師さんに言いました。
そしてまもなく退院しました。