そこで、次に問題になるのは、七世紀以前のこの島の精神文化についてどう考えるのかという点である。
それを「古神道」と呼ぶのは欺瞞であるとしても、そこにも「わが国固有の精神文化」が何かあったはずであるという考えは、追求するに値する。
ここで注意しなければならないのは、この場合の「わが国」とはいったい何を指すのか、である。
もちろん「日本」を指すのは、自明の理である。
が、その際、忘れてはならないことがひとつある。
それは、七世紀以前には、天皇や神道が存在しないだけではなく、「日本」もまた存在しないという点である。
講談社の「日本の歴史00巻」、網野善彦氏の「『日本』とはなにか」は、この点について当たり前の事実を正面から記述した書物であり、逆説的にも、それがゆえにこの島においては画期的な書物となった。
重要なポイントであるので、網野自身の言葉を引いておこう。
「日本が地球上にはじめて現れ、日本人が姿を見せるのは、くり返しになるが、ヤマトの支配者たち、『壬申の乱』に勝利した天武の朝廷が『倭国』から『日本国』に国名を変えたときであった。」
網野のこの叙述が如実に示しているのは、天武朝以前には日本も日本人も存在しなかったという点である。
そしてそれ以後も「日本」は、ヤマトの朝廷とその支配下の限られた人々や地域を指すものに過ぎなかった。
北海道や沖縄に至っては、実に近代に至るまで、日本ではなかったのである。
このようにして、「天皇」「神道」「日本」は、七世紀から八世紀のある時期において、同時に誕生した。
いや、三つのものが同時に誕生したというよりも、実はそこで誕生したのは、「一つの国家主義イデオロギー」である。
「天皇」「神道」「日本」はその三つの横顔の名前にすぎないのである。
では、それ以前には(ある意味ではそれ以後も真実の姿としては)、いったい何があったのか。
大雑把に言うならば、そこに在ったのは、オホーツク文化圏、東北文化圏、日本海文化圏、太平洋文化圏、朝鮮九州文化圏、南西諸島文化圏などとでも呼ぶほかにない、いくつもの文化圏であり、数多くの部族であり、その部族たちの精神文化の百花繚乱なのである。
私が指摘したいのは、現在日本のニューエイジ思想や精神世界において、アメリカ・インディアンやオーストラリアのアボリジニ等の先住民文化と、神道を横並びに考え、評価していくことのおかしさである。
もし、世界の先住民文化と横並びに考え、共に評価していくとするならば、上記のような各文化圏における部族文化に注目するしかない。
なぜなら、それらこそが、国家成立以前の部族シャーマニズムとして、第一章で論じた類型に属するものとして共通しているからである。
(拙著「魂の螺旋ダンス」より)