僕は国語の先生をしていた。
生徒にはふだんは甘甘で、細かい校則違反とか(服装とかどうでもええやん、、、いくつかの記事に書いたが行事のときだけ急に熱くなる)殆ど注意しないので
たいてい、生活指導部の体育会系の先生とか、仲悪かった。
今日、しがない元極道さんと互いの記事について、かなりコメントをやり取りしていて、この人は、元極道というけど、
相性いいなあと思った。
で、あまり関連性はないかもしれないが、連想で思いだしたことがある。
たまにメチャ相性のいい、体育の先生がいたことだ。
学校の体育の先生にも、
力の支配はするが冷血なタイプと、
仁義があり、不良生徒たちにも仁義切らせているタイプがいた気がする。
しかし、教育界で上からの締め付けが厳しくなると、
学校で人間らしくしていると生き辛くなってくる。
その中で、秩序だけは保つように、先生は期待され、
特に体育の先生は、生活指導部長などをして、学校の荒れを抑える役回りを期待されがちだ。
教育界が生き苦しくなってきたとき、
最前線の防波堤のひとつが、体育の先生ではなかったか。
納得してない生徒を力で抑える役をさせられるのだ。
その奉公を一定期間すれば、教頭や校長になれる。
僕がよく一緒に飲んでいた体育の先生がいた。
体はバカでかいが、女姉妹の中で育った彼にはどこか繊細な部分があった。
生徒にはちゃんと言うことを聞かせているし、
僕のような自分のクラスの不良も持て余している文系教師よりよほど優秀で、評価も高いように見えた。
しかし、時々彼が弱音を吐く相手が僕だったりした。
立場上、学校を背負っていて、弱音を吐けないが、実は納得してないことは、
色々あったのだ。
なぜか、なあ、今日飲みに行こか、と、タイプが違う先生に見える僕に言うので、飲んだりしていた。
転勤で別の学校になった。
それから、しばらくして、自殺したと聞いた。
その時、彼と同じ学校で、彼とよく話していたのは、僕が若いときに仲のよかった社会の先生だった。
その先生はちょっと乱暴な口遣いで、こんな風に言っていた。
あのアホが!
あの時、言いたいことあったんや。
そやのに言いやがらんと。
オレに、なあ、そう思えへんかと言ってたあの時や。
ちゃんとはっきり言わな、オレはアホやからわからへんねん。
長澤さんやったら、アンテナ動いて、その日、飲みに言ったかもしれんのになあ。
あのアホが!
死んだもんに何度も、アホアホ言う。
言わんとわからんやんけ。
はっきり言えや!
あのアホが!
こうやって文字だけ見ると、けなしているように見えるかもしれないが、彼の目には涙が浮かんでいた。
教育界の歪みや重圧は、体育の先生にしわ寄せすることがある。
納得できない文科省などの施策を次々受け入れ、学校に押し付け、
生徒が納得しなくても、体育の先生中心に力で抑えさせる。
そんな教育委員会が、彼を殺したと
僕は思っている。