matolさんの縄文杉ツアーの記事を読んだ。
僕が行った1988年は世界遺産でもなく、ツアーもなく、登山口までのバスもなかった。
子どもと行った世界中の旅の写真は殆ど離婚のときに置いてきた。
だから、写真で記事に再現できない。
ただ既に結婚はしていたが、子どものできる前、僕はバックパッカー的な苛酷な旅には、妻をつれていかなかった。
その写真は、離婚のときに引き取ってあり、屋久島滞在は再現可能だ。
紙の写真をスマホで再撮影したものを何枚かだけ紹介しよう。
僕は友人が自分で建てたAフレーム→(山中で暮らすヒッピーの基本技術)
にしばらく滞在していた。
ターザンごっこ。
満潮時には海になる温泉。
真ん中、28歳のあび。
左、友達の星川淳。
検索すればわかるけど、彼は、日本で、瞑想やエコロジー、先住民シャーマニズムの世界では、超有名な先輩であり、
著書も多い。
縄文杉へは道案内もなく、友達に言葉で聞いた説明だけで、
まあ、あびなら、遭難しないだろうと言われて、単独行。
ここを間違えると、遭難するんだよなあ、というところは、気をつけた。
途中、山中で、人には二人ほど会った。
当時は縄文杉の傷みも激しくなく、人はめったに来ないので、ハグできたのである。
縄文杉にハグするあび。
といっても、この時点でも、記念に少し皮をはいで持って帰る心無い人などもいたそうで、木肌は痛々しい状態ではあった。
またたくさんの人が行くだけで根が傷むので、なるべく行かないという思想を強調する人もあった。
世界遺産にはせず、なるべく誰にも言わない、知っている人が知っているというので、よかったのではないか?
アメリカでインディアンの岩絵がどこにあるかも、ガイドブックにはあまり書かないようになっている。
辿り着くものだけが辿り着くのだ。
君には教えようという友人がいた人や、宇宙に導かれた人だけが。
縄文杉も、そういう存在であり続けるべきもののひとつだったのかもしれない。
とはいうものの、それが強すぎると僕は行けなかったのかもしれないのだが。
しかし、とにかく、現在はパワースポットとか、死ぬまでに行きたい絶景とかの情報が氾濫し、一種の強迫観念になっている人すらいるかもしれない。
縄文杉については自分は行ったくせに、ここでこう言うのはなんだけど、縁がなければ行かなくてもいいという思想は大事かもしれないと改めて今日考えた。