・ グルイズムからシャーマニズム復興運動へ
絶対性宗教の外向きの力学が侵略行為であるとするなら、その内向きの力学は「内閉的なカルト」と化していくことである。
次に私はこの「内閉的カルト」について、自らの体験も踏まえながら論じていきたい。
そのことは、超越性宗教の「絶対化」のプロセスについて、詳細な光を身近な距離から照射していくことに繋がるはずである。
・・・学生時代の世界放浪、グル巡り、セラピー巡り。私は、すっかり精神世界、ニューエイジ思想にどっぷりつかった状態であった。
が、精神世界、ニューエイジ思想が一種の流行になり始める頃から、ある種の疑問が渦巻き始めた。
精神世界、ニューエイジ思想の大部分はゴミための中のものに似ている。
しかしその中には、きらりと光る本物のダイアモンドもあるというのが、大方の見方だと思うし、実際私もそう感じている。
しかし、そのかなり良質の部分にすら、いくつかの問題が見られる。
実のところ、私は自分のグルであったバグワン・シュリ・ラジニーシにすら、同じ問題点を感じたのである。
おそらく最大の問題点は、思想の絶対化、殊にグルの言説の絶対視という現象だ。
これはちょうど人類の歴史の中で、超越性宗教が再び硬直し、むしろ一人一人に対して抑圧的に働きはじめるプロセスに似ている。
これが現実的な政治権力と強く結びつけば侵略性さえ帯びるわけである。
だが、主流派の側からカルトの烙印を押されて内向する場合には、先鋭化して自滅するというプロセスが待っている。
また、グルの絶対化という、構造上の問題だけではなく、実は中身の点からも精神世界、ニューエイジの言説は多くの問題点を持っている。
それは「社会的問題意識の希薄さ」といった点に集約できるかとも思う。
一つだけ重要な例を上げるならば、「すべては自己自身の選択の結果、起こっているのだ」という考え方だ。
この考え方は、グルイズムからチャネリングに至るまで、精神世界、ニューエイジ思想のかなりの部分に共通する考え方である。
もちろん、何もかもを他人や環境のせいにして自己逃避を続ける生き方からの転換には有効な言説ではある。
だが、一方、それだけでは社会的な責任といったものを冷静に見つめる視点が、曖昧になってしまう。
一つの端的な例として雑誌『現代』一九九二年二月号の「激突! 部落解放同盟VSオウム真理教」という対談記事があった。
宗教学者の島田裕巳の司会で、部落解放同盟の当時の書記長である小森龍邦とオウム真理教の麻原彰晃が対談している。
前世の業などを持ち出し、自己責任(カルマ)論において部落差別までをも捉えようとする麻原と、浄土真宗の信仰を背景に持ちながら社会的な視点で運動を進めている小森の立場とは、当然対立することになり、論点が浮き彫りにされていて興味深い。
しかし、論点はこの両者の間にだけ存在したわけではなく、実際にはニューエイジ思想全体の持っていた傾向性と、社会的な問題意識との間に、常に横たわっていたはずのものなのである。
しかも、この事は、特定の差別事象だけに関わる問題ではない。
肥大した自己責任論では、あらゆる社会的不正に対する視点が曖昧になり、平和・環境・人権といった問題に対して、正当に社会的な次元で取り組むことが困難になる。
自己責任論には、内面の探求において重要な意義があるわけだが、社会問題に対してまで、この論理だけですべてを処理しようとするのは、明らかなカテゴリー・エラーなのである。
社会的な問題意識の視点から世界を見る。それは六〇年代から七〇年代初頭にかけての思想潮流のむしろ主流であった。
七〇年代後半に思春期を迎え、七九年に仏教学を学ぼうとして大学に入学した私はその潮流から見れば、「遅れてきた青年」である。
七〇年代後期からの精神世界ブームは、政治の季節の挫折の後にやってきた潮流であり、大局的に見れば、私もその渦中にいたわけだ。
だが、実のところ、その精神世界の潮流の中には、古くから社会運動を担ってきた人々や、さらに古くからのヒッピーカルチャーを担ってきた人々も合流していた。
そういった古強者が、もう一度、潮流の表に現れたのは、八六年のチェルノブイリ原発事故に続く、反原発運動の興隆の中であった。
殊に八八年の夏に八ヶ岳で開かれた第1回の「命の祭り」は、オールドヒッピーから若者まで、様々な流れの人たちが、「NO NUKES ,ONE LOVE」の旗印の下、一堂に会した画期的なものとなった。
また、この反原発運動の流れの中では、アメリカ先住民の運動との連携が、深められていった。
一方、八〇年代の後半は、かつて精神世界を席捲したグルのひとり、バグワン・シュリ・ラジニーシの米国オレゴンのコミューンの瓦解など、グルイズムの問題点が浮き彫りになり、崩壊していくという過程でもあった。
グルイズム批判の中には、スピリチュアリティに対する全くの無理解から来る「無効なもの」もある。
しかしそれはさておき、グルイズム批判には、精神世界の民主化運動としての大きな意義があると私は考えている。
そして、八〇年代後半における、グルイズム全盛の時代の終わりは、エコロジーに対する意識の高まりともあいまって、シャーマニズムの復興運動の興隆へと繋がっていく。
こうして私自身も、その流れの中で、シャーマニズムへの関心を高めていくのである。
「大きな螺旋の中には、無数の小さな螺旋が入れ子構造になっている」というのが、私の基本的な螺旋のヴィジョンでである。
私のモデルでは、人類の歴史は、シャーマニズムから国家宗教へ、国家宗教から超越性宗教へ、超越性宗教から絶対性宗教へ、絶対性宗教からシャーマニズム復興運動へという螺旋状の発展を遂げてきた。
が、それはここ三〇年ほどの日米の精神文化の潮流にも、ある程度シンクロしている事柄であるようにも思う。
そしてまた私個人の人生の中でも、同じ螺旋が観察できると言えるかもしれない。
具体的には、幼少期にアニミズムから出発し、思春期に超越性宗教へ、そして現在は、シャーマニズムへの関心の復活があるという点なのである。
螺旋の中に入れ子構造になった無数の螺旋である。