原住民、本省人、外省人のエスニックグループの対立。外省人による略奪、支配。インフレの高まり。失業率の増加。
これなら日本統治時代の方が「マシ」だったのではないかという空気。
そんな中、一九四七年二月二七日、台北市内で闇煙草を売っていたシングルマザーを外省人の取締員が殴打。それに抗議して集まってきた民衆に威嚇発砲がなされ、流れ弾にあたった市民ひとりが死亡した。
群衆は発砲した取締員が逃げ込んだ警察局へ押し寄せる。取締員の逮捕と処刑を求めた。しかし、何の結論も得られない。
民衆の怒りは収まらず、専売局や長官公署に向かう。中国から台湾接収に派遣された長官の陳儀に直接交渉しようとした。
ところが市民が近づくと長官公署の屋上から市民に向かって機関銃掃射が行われ、多くの死傷者が出た。
激怒した台北市民は街頭で外省人を殴打するなど、暴動へと発展。臨時戒厳令が発布されるも、市民らは専売局を焼き払い、放送局を占拠。
ラジオで台湾全土に「一斉蜂起」を呼びかけた。このラジオ放送によって、暴動は台湾全土に一気に広まり、全島的な政治暴動に発展したのだった。
発達していたラジオ。
この放送スタジオが占拠され、全土一斉蜂起が呼びかけられたという。