2019年4月19日、池袋にて飯塚幸三(87)が運転する車が暴走し、親子が亡くなった事故。
この件で飯塚幸三が逮捕されないのは「上級国民だから」という説が、ネットなどで取り沙汰され、逮捕されないことが批判されている。
これを検証すると、
飯塚幸三は、東京大学卒業、同大学院に進学。工学博士取得の元官僚。
2015年には通産行政事務功労に対して瑞宝重光章を叙勲している。
さて、「上級国民」という概念は、現憲法では存在しない。
あるいは少なくとも何の特権もない。
が、自民党の改憲草案では、憲法14条から、叙勲した者にはいかなる特権も伴わないという叙述が、削除されている。
ということは裏を返せば特権があるということになる。
飯塚幸三が逮捕されないのは、改憲後の未来社会の先取りであり、
その社会では「上級国民」は特権を行使し、
「庶民」は泣き寝入りを
なんと(!)「憲法」によって余儀ないものとされるのだという懸念はぬぐえない。
現行憲法 第十四条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
自民党改憲草案 第十四条
1 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
3から、「いかなる特権も伴はない」がすっぽり抜けているのである。
余談だが、
1の「障害の有無により差別されない」が加わったことは、運用次第では福祉の充実につながると期待する人もいる。
が、特別な福祉の対象とはならない・・・という意図かもしれないことには、注意が必要である。
また「障害の有無」と書くことにより、障害の医学的モデル(本人に障害が有る場合と無い場合がある)を強化してしまう恐れもある。
WHOなどの社会的モデルでは、本人に障害が有ったり無かったりするのではなく、人と社会の関係性の中に障碍が生じることがあり、それを取り除く必要があるのである。
現在でもそういう福祉思想は定着しており、改憲しなくても当然の社会的要請なのであるが、憲法に明記するなら、WHOの見解に沿ったものをこそ明記するべきであろう。
すなわち、以下のように書くのなら明記の意味がある。
また、人と社会の関係性の中に障碍が生じているとき、それは能う限り取り除かれなければならない。