こんにちは、積分定数です。デカルトの「我思う、故に我あり」という有名な言葉がありますよね。今日はこの言葉の本当の意味からビットコインを学ぼうと思います。
「我思う、故に我あり」という言葉の本当の意味は、「私は今思考しているから私は存在している」なんて安直なものではありません。デカルトはこの世の全てを疑う人でした。この世界は本当に存在するのか?自分の意識が作り出した幻想ではないのか?私が目を開けているこの瞬間だけ、悪魔か神によってこの世界が形作られていて、目を閉じた瞬間にこの世界は消えて無くなっているのではないか?その可能性を全否定することはできません。皆さんの中にも同じようなことを考えた人がきっといるでしょう。この世で"絶対に存在している"ということを証明できるものは何一つないのです。存在しているように見えるけれど、それは幻想かもしれない。しかし、ここでデカルトは気付きました。
「何かを疑っている"自分"が存在していることだけは確かだ」
この世で"確実に存在している"と言えるのは"何かを疑っている自分自身"だけである。これが、「我思う、故に我あり」の本当の意味なのです。
ここでは一旦デカルトの話は忘れてください。この世界は現実で実際に存在すると仮定して話を進めます。
従来の物理通貨や電子マネーは実際に存在している通貨です。物理通貨は明らかに目に見えて存在していますし、電子マネーも円を担保にしているということを考えれば、実際に存在していると言えます。ビットコインはどうでしょうか。ビットコインを表しているのはインターネット上の額面の移動のみであり、その実態はどこにもありません。中央の発行元もいなければ価格を管理している団体もいない。では、ビットコインの存在を証明しているものは何なのか。それは、私たち一人一人の意識です。価値があると信じている人々、詐欺だと思っている人々、これらの人々の意識がビットコインの存在を裏付けているのです。なぜなら、これらの人々がいなくなった時、ビットコインの存在は消え、無価値な電子クズと化すからです。つまり、ビットコインの存在を疑っている人々がいるからこそ、ビットコインは存在しているのです。
「我思う、故にビットコインあり」なのです。