私たちは、普段から無意識に【判断】しなきゃいけないものだと思い込んでいます。判断しないってことは、決められなくなって人としてマズくないですか?と思いますよね。
しかし、判断には2種類あって、良い判断と悪い判断があります。
そもそも、人間はなぜ判断したがるのでしょうか?
自分が行う判断は、何を根拠に、何を前提に、良し悪しを決めてわざわざふるいにかけているか、意識して考えたことはありますか?
人間は、無意識に決められないことはいけないことだと誤解していて、判断できない状態をストレスに感じます。
ですが、実は反対で、判断できない自分にストレスなのではなく、判断しようとする脳🧠がそもそもストレスなのです。
判断しようとすること自体が脳の負担になっています。
悪い判断とは、
自分とは異なる意見を持つ人に対して、
●この人は、的外れな意見だな頭悪いな
●この人は、どうしてあんな言い方をするのだろう、良心にかけて悪い奴だ。
●この人は、独特な発想をするから嫌だな
自分のジャッジメントによって、ネガティブな感情までのっけてしまったら、それは本当に正しい判断なのでしょうか。
しかも、自分が勝手に判断して、嫌悪感を抱いたりイライラしていませんか?既にストレスですよね?
自分がどんなバイアスにかかっていて、相手に悪いレッテルを貼っているのか、気づいていない人が多いのです。
みんな違って、みんないい
自分の偏見による判断は、有益な情報として扱えなくなります。自分だけが、優れた考え方、良い意見を持っているという前提がそもそも良い判断を鈍らせます。
あくまでも、異なる意見は一つの情報として取り扱い、その時点では良い、悪いはどうでもいいのです。
会議でたくさんの意見が出だら、そのビジネスにおいて有益な情報をピックアップすれば、まとまります。他人を否定することも、決めつけるストレスもなくなります。
これが良い判断です。
判断しない事と、判断すべき事を理解することが大切です。
マインドフルネス瞑想でも、ノージャッジメントという瞑想のやり方があります。
瞑想は、1点集中(今ここに)というのがルールではありますが、どうしても、瞑想中に考え事💭が雑念として浮かんできます。しかし、それを無理やり追い払うのではなく、何も判断せずスルーするのです。
瞑想中の雑念の処理方法
瞑想▶︎今ここに集中▶︎明日の仕事💭▶︎慌てて今ここに戻す❌
瞑想▶︎今ここに集中▶︎明日の仕事💭▶︎呼吸に合わせ何も判断しない▶︎また瞑想▶︎今ここに集中▶︎⭕️
スルーするスキルが身につくと、普段の私たちの生活を劇的に豊かに変えてくれます。
幸せな思考とは、どうでもいいことにジャッジしないということ。判断によって悩んだり、イライラしたりする労力や時間がもったいないのです。
自分が貧乏かお金持ちか、頭が悪い、良いで悩むのは、自分が勝手に他人と比較したからです。劣等感は、自分の判断によって生み出されたもの。
自分がジャッジしなくなれば、平穏な心でいられます。