※Amazon music(https://www.amazon.co.jp)から画像を拝借しました
今日ようやくボヘミアン・ラプソディを観てきました。
この映画はもうテレビでも散々特集されているしネットでも話題になったのでみなさんご存じですよね。イギリスのロックバンドでQueenのボーカル、フレディ・マーキュリーの人生を描いた映画です。
Queenといえばその世代の人はもちろん、世代じゃない私たちも絶対知っている名曲の数々を生み出した伝説のロックバンド。
ボーカル、フレディ・マーキュリーは心から愛する女性に指輪を渡し、プロポーズまでするのですが、その後自分がバイセクシャルであることを告白。彼女とは結局結婚はしないものの、彼女は死ぬまで彼の良き理解者でした。彼女と別れた後、フレディは自暴自棄になり、うぬぼれからバンド仲間と衝突。そしておとずれる「エイズ」という名の病。
エイズと聞いてハッとして、急に胸の鼓動が早くなりました。脳裏に浮かんだのが、かつて同じ病気に苦しめられた私の先輩。あの日のことー先輩が自分はエイズだと、私に告白して泣き崩れた日のことが、フレディがバンド仲間にエイズを告白する場面に重なり、一瞬にして思い出されました。
先輩はゲイだったのです。でも、職場でも異性が好きだと公言していて、誰も彼をゲイだとは思っていませんでした。
ある日、先輩が体調が悪いと会社を休みました。そしてそれから会社に来なくなったのです。まじめな彼がそんなことになるなんて・・。私は何か胸騒ぎがしました。そこまで仲がよかったわけじゃないけれど、居ても立っても居られなかったのです。だから上司の許可のもと、同僚と先輩の家に行きました。何度もインターホンをおしても、家の前から電話をしても応答の気配はなく、仕方がないので引き上げましたー胸騒ぎがおさまらないまま。
翌日の夜9時。私が会社の半個室スペースで一人残業をしていると、ドアが静かに開き、先輩が顔をのぞかせました。元気そうだけどやつれた顔。
「昨日、家に来てくれてありがとう。でも出られなかった。ごめん。」
そしてこういいました。
「俺、ゲイなんだよ」
まじめな性格の先輩です。カミングアウトできずに悩み続け、このことを告白するのにどれほどの勇気がいったでしょう。けど私の友人にはゲイもバイセクシャルもいるので、特に驚くこともなく、「そうなんですね。」と一言いいました。
そして先輩はこう続けました。
「体調が悪くて病院に行ったら・・・・エイズ・・・・に感染してた」
途端、私の頭は真っ白になって、何も言うことができず、いえ、何か言おうとしても口が開かず何をどう言っていいかわからず、ただただ混乱して先輩を見つめることしかできなかったことを覚えています。
そのまま先輩は壁にもたれたまま力なくズルズルと床にずり落ち、泣き始めました。
「死にたくない」と。
「親には絶対知られたくない」と。
今、エイズ治療薬はフレディが感染した1980年代とは比べ物にならないほど進歩しています。薬を飲み続ければ発症せずに一生を終えることも可能です。それでも薬がなければ「死」がついてまわる病気に変わりはありません。それはどれほどの恐怖でしょう。
そしてカミングアウトも。今ではマツコ・デラックスやIKKOのような芸能人のおかげでゲイでもバイでもカミングアウトしやすくなったし、周りもそういう人なんだ、と受け入れやすくなりました。
それでもカミングアウトできない人達はどれほどの葛藤を心に秘めて生きていることか。私も先輩から聞かなければその気持ちを知る機会は人生におとずれなかったと思います。だってカミングアウトしたとたん、友達がいなくなる可能性だって、大切な人を失う可能性だってあるのですから。
中でも彼らにとって親にカミングアウトすることの壁の高さたるや。想像を絶するものなのです。
映画のタイトルにもなったQueenの名曲「ボヘミアンラプソディ」。この曲の歌詞を聴くとフレディ・マーキュリーもバイセクシャルであることを相当悩んでいたんじゃないかな、と感じました。
Mama, just killed a man ママ、たった今、男を殺したよ
Put a gun against his head 彼の頭に銃を向けて
Pulled my trigger, now he's dead トリガーを引いたんだ。彼は死んだよ
Mama, life had just begun ママ、僕の人生は始まったばかり
But now I've gone and thrown it でも自分で失くして何もかも
all away 投げ出した
Mama, ooh ママ
Didn't mean to make you cry ママを泣かせるつもりはなかったんだ
If I'm not back again this time もし僕が明日また戻らなくても
tomorrow Carry on, carry on 何もなかったかのように人生を
as if nothing really matter 続けてくれ
Too late, my time has come 遅すぎたんだ。時間がきてしまった
Sends shivers down my spine ぞくぞく震えがとまらない
Body's aching all the time ずっと体が痛いんだ
Mama, oh oh ママ、
I don't want to die 僕は死にたくない
Sometimes wish I'd never been born at all たまに願うんだ、僕は産まれて
こなければよかった、って。
歌詞は男を殺した、という言葉から始まりますが、これは同性愛の自分を殺したのか、それとも異性を愛している自分を殺したのかどっちかと思うのです。
せっかく生んでくれたのに自分の性癖のせいで親にショックを与えてしまうんじゃないかという恐怖と、受け止めてもらえなかった場合に受ける絶望感。親子だから何も隠さずに言えることがあるように、親だから隠さずにはいられないこともある。
人生は自分の選択です。人生に起こりうることは自分で対処しなくちゃいけないし、自分で生きているのだから誰のせいにもできません。フレディが同性に対する恋心を封印してプロポーズした彼女だけを愛していれば、エイズに感染することも、45歳で死ぬこともなかったと思います。
でもそれは結果論。同性への恋心を押さえて女性と一緒に生きることを選択しても、きっとどこかで自由を求める心にひずみがもたらされたはず。あのときどっちの選択をしていれば人生が幸せだったか、なんていうことはその人生を生きる人にしかわからないのです。
例え後悔する結果だとしても、選択したのは自分。自分が選んだ人生だから責任がある。
だから人生は後悔と言う名の後悔をしないよう、自分の手で切り開いて生きたい。
そんなことを思った映画でした。