NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が2022年9月11日に第35回「苦い盃」を放送しました。畠山重忠の乱の前夜です。畠山重忠は謀反を起こしたとされますが、それは吾妻鏡も認める冤罪です。「苦い盃」では北条政範毒殺というトンデモない冤罪をかけられました。
畠山重忠の乱の発端は酒宴での重忠の嫡子重保と平賀朝雅の口論と描かれることが多いですが、作り話めいています。酒席で口論が起きること自体が鎌倉武士の鑑と言われた重忠の息子の重保や源氏門葉の朝雅の性格から不自然です。「苦い盃」では毒殺疑惑の追及を口論としました。
畠山重忠の乱の実質的な原因は武蔵国の支配権をめぐる重忠と北条時政の対立でした。これは重忠が持っていた武蔵国の支配権を自分のものにしようとする時政の横車が原因です。ところが、この対立も政範毒殺の動機にされてしまいます。重忠が激怒することは当然です。
重忠は過去に謀反を企てていると梶原景時に讒言されたことがあります。この時は「謀反を企てようとしたとの噂があることは、逆に武人として名誉である」と言い放ちました。そのような重忠にとって毒殺の冤罪は腹立たしい限りでしょう。
畠山重忠の乱自体は次回の第36回「武士の鑑」に持ち越しました。吾妻鏡では北条義時は時政と牧の方に押し切られて重忠を謀反人として討伐したとします。しかし、「苦い盃」では義時も政子も時房も既に時政を困った人と認識しており、時政にだまされたという展開は成り立ちません。
義時は反対していたが、時政が勝手に進めたという展開は考えられます。しかし、吾妻鏡では義時が重忠討伐の大将となって討伐軍を率いました。義時の知らないところで討伐されたという展開は吾妻鏡と矛盾します。
また、重忠は少数の手勢で鎌倉に向かっているところを討たれました。畠山氏の全勢力をぶつけた抵抗ではありません。これに対して「苦い盃」の重忠は鎌倉を灰にする覚悟を見せます。一所懸命で自己の領地を守るバリバリの坂東武士です。潔く散るというイメージとはギャップがあります。
北条義時が戦を避けようと奔走した結果、武装解除状態になって、だまし討ち状態になったならば、視聴者の気が重くなります。義時がだまし討ちを主導したとなると、とんでもなくブラックになります。
『鎌倉殿の13人』第31回「諦めの悪い男」分割相続否定の強欲
『鎌倉殿の13人』第32回「災いの種」ブラックになる北条義時
『鎌倉殿の13人』第33回「修善寺」承久の乱につながる対立軸
『鎌倉殿の13人』第34回「理想の結婚」伊賀の方は悪役令嬢