調べ事をしていて自分が6年前に書いていたブログが出てきた。内容はイベント告知や事後報告や近況などそんな感じだった。
読むと他の人と同じような音楽活動をしているのはわかるが、思想が書かれてなくその人に興味までは向かないなぁ、と思った。
それもそのはず、僕はこの時期まで、意図的に自分を発信することを避けていた。
なぜか。これは考えすぎかもしれないが、周りと違う考えや変わった活動をして仕事仲間から変な人と思われたくなかったからだ。
ミュージシャンは基本単発案件だ。ほぼ仲間から仕事が入る。エンジニアのフリーランスとは違い、一件で年間契約や数社保守契約すれば個人会社がまわる、なんてことはない。
つまり、また誘われないといけない。誘いやすい人、自分の思い通りに動く人、そのコミュニティでの考え方に近い人ほど声がかかりやすい。
だからみなそんな考え方や行動思想になる。そのコミュニティで生きたい!と思っていれば何も問題ないと思う。
周りは音楽で食っている人は多いが、その人たちが考えを発信することはない。もちろん飯でもいけば話すこともある、しかし公にすることはない。
これは良いとか悪いとかでなく、何がしたいかの問題。ある意味プロだ。
理由は長くなるため割愛するが、僕はとにかくこれからは肩書きの仕事より、「あなたであること」が仕事の理由にしなければいけない、そう感じていた。
そこでまず自分しかできないものを作ろうと思った。好きなもので。それでジャズと和風が好きで、日本を生かした音楽を作ろうと思った。
それで料理人が素材からこだわるように、僕は音楽を作る前に、音楽を作るために使う素材、和音や音階そのものから作ることにした。
とても大変だし今もアップデート中ではあるが、大変なものほど良いと思った。
環境要因や資本や人材リソース、競合参入やSWOTなどもしたが、結局、個人だしニッチで自分しかできないもの、となると最初の感覚的な誰もやってなくて大変なものほど良いという結論になった。
マーケティング分析をしても個人の動きの場合は、ほとんど最初の直感と同じ答えになることが多い。それがロジカルに関連つけれるというのを除けば。
1人でやることだからそもそもプレゼンする上司もいない。情報収集して動いてるなら直感でいいと思っている。
好きにマーケティングはあまり役に立たないのかもしれない、とか思っているにもかかわらずマーケティングという概念が好きでフィリップコトラーの解説本とか改めて読むと面白い。分析自体がもしかしたら好きなのかも…笑
そのあと、和風ジャズを使ってダルマとピアノも持って全国各地で動画を撮ったりしてる。
そうしたら、ダルマの人、和風ジャズ、なんて周りが認識してくれるようになった。
やっぱり行動しないと周りの評価は変わらないなぁ、と改めて思った。
そして今度はそれだけではなく、その人にも興味持ってもらうところまで行かなくては、思っている。
極論を言えば表現コンテンツはその人を表していると言える、しかし表現の媒体により相手のフィルターにより変化して捉えられる。
この人は優しい人だ、ダルマをアイキャッチに使ってなんて奴だ!、など。
それで自分の考えを記事にするのは一番ダイレクトに届く、そして僕の考えが面白いと思ってくれる人が1人でもいればそれは嬉しいことだ。
もちろん書けば書くほど今まで、摩擦を少なく行動や思想を制限していた同士では合わないひともでてくる。離れる人もいる。
しかし問題ない。自分の考えや好きなことを伝えて、離れる人はそもそも自分とは合わない。
その人は僕を好きではないと気づいた。他のより幸せなところにいける。幸せに一歩近づいて良かった。そう思うようにしている。
愚痴を書くのはむしろ周りを気にしていて捉われている証拠だ。周りに捉われていなければ愚痴はでない。
気にしてなければ自分の考えが出る。それは敵もつくる。だからそれをしているのは周りを気にしなくなった証拠。
昔の記事を見ながらそんなことを思った。
誰でも離れていく人がいるのはキツいと思う。アンチコメントを気にしていないとはいて、ないに越したことない。
それでも自分であることを形にしていきたいと思ってからは、また茨の道だか歩みたい。いや、案外とそっちの方が良いのかもしれない。
それは頭で考えるより、歩いた人だけがわかる。だから歩いてみている。歩いてみたいと思うではなく、
、歩いている。
日々の呟きは、
見てるだけで音楽教養。かねこのジャズチャンネル
和風ジャズピアニストかねこ