時々ふと思う。「自分の歩いてる方向が間違っているのではないか」と。誰も一緒に歩いてなかったり、批判どころか無関心も極みになると時折り、「駅って逆方向?」と思うことがある。
イノベーターは「誰も行かないところを行け!」なんていうが、成功もしてない素人の僕が歩いてると「すごい場所だな、旅行ガイドに載せても誰もこないだろうな…」と思う。しかもそこは旅行ガイドの場所ではなく反対方向かも知れないのに…。
それでも自分がこっちへ行きたい!と思って歩いてるからか、不思議と気持ちが良い。自分なりにこうだ、という未来への推測、考えがある。それを信じれずして、歩くことは僕にはできない。
この「自分はこっちへ行く」という方向よりも、こっちへ行っていると「認知していること」が何より自分が後悔をしないようなマインドにしてる気がする。今日はこの気持ちと向き合ってみたいと思う。
イノベーター旅行ガイドブックなるものがあったとする。ページをめくるとまずはメッセージ、「誰とも同じことをするな、信じるのは自分だけだ」。
そしておすすめの観光スポットには、「人気ベスト1 誰も歩いていない場所」「2位 失敗」「3位 みんなが楽しんでる場所から逆方向の場所」。
はっきりいってどこも行きたくない。怪我ではすまないんじゃないだろうか。
しかし、人並みにできない僕はそこへ行くしかない。特に素晴らしい才能もあるわけではない。小さい頃から何かをやっていてそれを大人になって伸ばしてるわけではない。
ピアノを小さい頃から弾いていたり、クラシックを習っていたら、大人になってそれを仕事にしながらそれを伸ばしていける。僕は19歳の目前から弾き始めている。みんなと同じ方向では無理だ。。
しかし、だからといってイノベーター旅行ガイドブックの場所も行けなかった。ただ7〜8年前からそのガイドブックの場所に行くための準備をしていた。行かないかもしれない。でも心のどこかで行ってみたいな、と思っていた。
だからみんなと同じ方向を足並み揃えながらも、たまに逆方向へいっていた。週末は人気観光スポットに行くけど、たまーにくる祝日だけは逆方向へいっていた。
YouTubeに動画をアップしたら毎日生配信したりしている。何故こんなことをしているか、記事によく書いてるので興味あれば下記からどうぞ。
そんなことをしている最初の頃は視聴数は一桁が当たり前でそれが何ヶ月、一年以上続いた。最近は二桁になるようになって、今は3桁を目指している。
そうやっているとたまに低評価にも評価がついてるものもある。ネガティブなコメントもなかにはある。しかし、それでも今は嬉しい。
今までは反応がなかったからわざわざ低評価をつけてくれることも「みてくれてる!」と思える。もちろん昨今の誹謗中傷で人が自殺する事態になるほど相手への攻撃は良くないし、そういったものは僕もいらない。しかし適切な低評価というものは、「あなたに興味ありますよ」という意味合いもあると思っている。
みんなが好きでなくても良い、みんなが同じ方向を向かなくても良い。僕はブログでも自分はこうだ」と自分と向き合いながらの対話でよく書いてるが、この考えが良いか悪いかは一番重要ではないと思っている。
散々書いてるが一番重要なのは「自分が熱中していることに対して、自分で答えを出して実行して試して結果を見て改善を続けること。」この一文に凝縮されてる。
そしてその中で「認知している」というのが非常に重要な要素ではないかと思っている。
好きなものを自分で選べる今の時代に、誰かに「あなたはあれを買いなさい」と言われても買わない。自分の好きなものを選んで買う。
この段階で自分は意思を組んでいるように思う。しかし、そもそもそれを何故買うのか、まではわりと考えてない。「みんながもってるから」「人気だから」「便利だから」。
みんながもっているものは他にもあるし、人気なもの同じだ。便利さを求めるなら最適解は他にもある。しかしそれを何となく買うことがある。
自分で選んでいるようで実は自分で選んでいない。理由がふわっとしすぎている。
僕はこのような意思決定を減らすことが大事だと思っている。もちろん、細かいことを言えば何かの影響を受けずに意思決定するのは無理だと思っている。今こうやってブログを書くことすら現代の流れの影響受けているともいえるからだ。
ここでは影響を受ないようにするではなく、自分のやっている行動を「ふわっとした理由ではなくしっりとした認知により行う」ということに注目したい。
ちなみに実際に聞いたふわっとした理由の例。
付き合ってない男女が一緒に住むことになった。その話をその女性から聞いた。僕はなんで住んでるの?と質問すると男性は「定期的に会うのめんどくさくない?一緒に住んだ方が良くない?」と言われたから「それはそうだよね!」となったらしい。
この話を聞いて一年以上経つが僕はこの理由でなぜ「それはそうなのか」がいまだにさっぱりわからない。
僕はよくこれを結婚した人に聞く。今までいろんな人に聞いてきて、即答できた人はいない。ふわっとした行動とはこれもあてはまる。
ただ一人だけ例外的にすぐにはっきりとした理由を答えた人がいた。僕が大学を卒業してピアニストとして活動を開始した頃、知り合いのいわゆる親父バンドのサポートをしていた。
そこのメンバーはみな50代前後で当然娘さんもいて、幼稚園の子供のお父さんもいた。ある時に幼稚園のお父さんだけで飲んでいるからかねこもこい、と呼ばれて興味本位でいった。
そこで質問をしまくった。「今幸せですか?」「何で結婚したんですか」。みな答えられずに苦笑いをして流されたが、一人だけ「あ、俺幸せだなぁ」と答えた人がいた。
その人は今の奥さんと結婚する前のデートの話をしてくれた。彼女(現奥さん)がお手洗いに行った時のこと。「あ、しばらくかかるなぁ」と。待つのが、苦手だったのか、そう思ったらしい。そう思ってる合間にすぐに彼女は戻ってきた。それを見て「あれ?」とびっくりしたらしい。それで「時間の感覚がもしかしたら同じなのかも。この人となら一緒にずっと入れそう」と思って結婚したという。
そんな話をすぐにしてくれた。こんな回答をできた人はいままでいなかった。きっと本当にふとしたものが自分とぴったりあったのだろうと思う。
色々大変なこともあると思うが、「その人にとっての大事な何か」を共有できているのできっと困難も乗り越えてるんだろうと思う。
なぜこれを書いたかというと、自分にとって大事な理由を持っていてそれによって意思決定することは最終的に自分はそれによって耐えれたり、後悔しなかったりするからとても大事だと思っているからだ。
人生のロールモデルみたいなものになんとなく乗っかってしまうと自分は何も認知せずに歩んだことで基本的に今を後悔してしまう。そして社会のや政治家に文句を言う。適切に政策ごとに評価を下すことができなくなる。
自分が今ダメな理由が「意識してこなかった自分」にあることが見えないために、誰かにあたる。とても良くない。だから認知した意思決定が大事だ。その先の結果はその人次第。
あの人と付き合いたい場合と恋人の枠に誰でも入った人と付き合うのでは、不満感が半端なく違う。僕は過去にどちらもあるが、付き合った瞬間に不安も始まるのが後者だ。あの人と違いその人と付き合う理由が特にないからだ。恋人という役割を演じてくれなければ不満は募る。SNSで自慢できなかったりすると困る。今思えば僕は最低だった。
こんな書き方をしていると結婚が悪いみたいに聞こえたり、なんとなく生きてきた人を悪く行ってるみたいに聞こえるが、そんなことは一言も言っていない。
何かに当たったり、現状に不満があったりするならこう言った考え方は良いかも、という程度。何よりこれは僕と僕の対話。無名な僕ことだ、気にする必要もない。
「難しく考える人は逃げてるのと同じ」こんなことを書いたりもしてるが、だからといって難しく考える人はダメとも思わない。その人にとって難しく考えるかことで自分の楽しい生活を掴み取ってきたならそれは素晴らしいことだと思う。
今自分が幸せなら誰にも特にいわれることはない。僕に当てはまらないだけ。ここに書いてあることがあなたにも当てはまらないよう。
だからこそ認知をして自分にとって後悔のない楽しい日々を送るようにしたいと思う。
僕はイノベーター旅行ガイドのおすすめスポットに向かっている。自分でこれをやりたくて向かっている。先に挙げた僕が活動する理由もあるが、なにより、それが僕が楽しめることだから。
それによって誰かが何かを気付いて変化が訪れたらそれは嬉しい。そしてこの先ダメだったとしてもそれは僕がダメだっただけ。後悔はゼロだ。政治家も悪くないし、社会も悪くない。悪いのは僕の行動だ。
認知して行動するのは素敵なことだ。知らない間にそうだったことが幸せなら良いが、不幸せなら必ず自分以外の人に当たり散らす。そうなる前に認知をしていく。なぜ自分はこれをするのか。ふわっとした理由にしない。他人に話しても理解を得られるようなくらいにしておくのは良い。その一方で先の例のような自分にとって大切な何かで決めるのも大切だと思う。
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