「不」とつくとネガティブに感じる。そういった感覚に理性を入れていくコトが、人間的でとても大事で、さらにそれを行動していくのはもっと大事だ。
僕は「便利」と「不便」は真逆にあるものではなく、目的によって言葉が変わってるだけと捉えている。「旅行」と「通勤」と言葉を並べているのとなんら変わらない。
会社に行くのに旅行ではできないし、旅行するためには通勤は使わない。便利をするために「便利」を使うのであって、「不便」をやるときは積極的に「不便」を使う。
この言葉達でつなげると難しいものもある。僕はここにいつまでも続く未来を感じる。例えば、
「未来は便利だろうか」「過去は不便だろうか」「スーパーは不便だろうか」「Amazonは便利だろうか」「チャットは便利だろうか」「手紙は不便だろうか」
ものより出来事や行為、そういった抽象的なものを捉えて、それらを現代の表現デバイスを使う限りいつまでも今だ。
もしかしたらラジオ機器を使ってラジオを聴くよりアプリやYouTubeで聴く人の方が多いかもしれない。
ラジオ的なものはラジオ機器ではない。電波に音声だけをのせて離れている人に情報を届けることかもしれない。
過去を現代の表現デバイスで使うのはさらに難しい。新聞をそのままデジタル化して読むより、スマホアプリで読む方が情報量やアクセスも容易だ。
「不」という言葉などのファーストインパクトでくる感覚の波にのまれ、そこから考えることをやめることはある。
きっとそんな波に乗り積極的に「なぜ」を問いかけて「答えを見つける」、それが人間的でさらにそれを行動に移せる人は現代的なのかもしれない。
僕もそこで考えたいと思うことがある。「ジャズピアノは便利か、不便か?」
日々のつぶやきは、
毎日ジャズピアニスト。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。毎朝6:30〜コーヒー好きな演奏生配信。
和風ジャズピアニストかねこ