昔からノートをとる理由がわからなかった。だからか成績は良い方ではなかった。
3年ほど前に突然、ノートはインプットした情報を自分なりに整理してインプットし直すための作業ということがわかった。めっちゃ大事だ!と気づいた。
ほとんどの人は「え。そりゃそうでしょ。」という感想だと思います。。。すいません。
これがわかってから学びが楽しくなった。
この話のポイントは自分で答えを決めれるようになったということ。
自分で決めれることはこんな楽しいのか、と思いました。学び=楽しさです。
学びにおいて、自分で答えを探す意味のないものもある。それは決まったルール。
プログラミングの構文の書き方はルールが決まっており、そのルールの範囲内で自由に書ける。
音楽における和音やコードは決まっている。そのルールの範囲内で自由に弾ける。
そのルール自体を自由にしては動作しない。ルールはそれがそれである前提。だから、それは考えるより教えてもらうべき。
だけど、それは少しだけ。しかもそういったものほど無料で学べる。
そして学びにおいては自分で考えた方が良い範囲が多い。
・この文章の書き方は綺麗ですか?←自分で考える。
・この和音の弾き方は正しいですか?←自分で考える。
・転職した方が良いですか?←自分で考える。
・この人と付き合った方が良いですか?←自分で考える。。。
逆にこれらを全部他人に決めてもらうということは学び=楽しさの機会は奪うことになる。
こうなると「自分で考える」ってどういうこと?ってことが気になる。
和音の弾き方が綺麗かどうか。これを自分で考えるということは、具体的プロセスは下記ではないでしょうか。
参考を見つける。自分が確実に綺麗だとわかる人をYouTubeやCD、レコード、ストリーミングで見つける。この時大事なのは、自分が確実に綺麗だと思うもの。先生が言ったものでなくて良い。
あなたが綺麗と思ったものを否定する先生がいたら、それはあなたを自分の価値観にしようとしてる。それは世の中では教育ではなく洗脳と呼びます。
相手は必ず「あなたのためを思って。」「プロが一番良いものを教える」など言いますが、洗脳のプロセスです。
あなたが良いと思ったもので問題ありません。なんたってあなたは今、自分で学んでいるわけですから。
そして、それを自分の演奏と重ねてみる。音の響きや姿勢、筋肉の動き、頭の中、何か気付くまで見てみる。
そこで問題なければ大丈夫、音が綺麗ではないと思ったら次のプロセスに行く。そこでの気づきの思考を行動に移していく。
まず「1.原因の仮説を立てる」
腕の形が原因だ。など。
「2.それを直して弾いてみる」
問題ない形にして自分で試して弾いてみる
「3.直した結果がよければ継続して取り組む、よくなければ、1に戻る。」
この思考の行動化が学びに必要でさらに楽しくなる理由になります。(後述)
誰でも自分で決めるのが不安なところから学びは始まります。
答えを教えてもらい、人生のロールモデルになって生きるのが当たり前になって考えないように幸せを享受できたのが今まで。
そこから答えを自分で決めるのは不安になるのは当然です。
これからは答えはAIやロボットがやってくれます。そこで本質的に他人には答えが出せない、また答えの無いもの、その自分の答えを自分で見つけることが何より大事なことのように思えます。そして楽しいとは自分で決めれることと思います。
逆に考えると他人を気にしたり、間接的に思考を支配されたり、自分で答えを出して行動してない場合、著しく辛いかとしれません。
そもそも刑罰史など見るとそれは自身の決定できる範囲を制限することによって罰としている、そのようにも捉えれます。
それだけ自分で決めれるということは幸せなことなんだなぁと思います。
子供が「ママ」や「パパ」と初めて話すと嬉しくなりますよね。(私は独身ですが…笑)
でも「ママっていうんだよ、ママっていうんだよって言った後に「ママ」と言われると、自分の言うことを聞いた、ということの嬉しさになります。
「ママ」という言葉のルールだけ教えて、あとはそのまま。ある時「ママ」と喋る。自身の意思でその言葉が出てきたことに感動します。
(といっても子供の場合、そこまで意思で言ってるか難しいとこです…例え話で。。)
その自分で意思決定をする楽しさ・嬉しさは他人でも自分でも同じです。
勉強が楽しくなるのに、問題の解き方がわかってきたから、とかあると思います。知識が増えて対応できることが楽しさにつながると。
しかし自分の知識で対応できなくなると楽しくなくなります。つまりこれは楽しくさせるフレームワークによって楽しく感じていることになります。解きやすい問題を先生が用意して工夫しているなど。(これも重要ではありますが…)
問題はわかってもわからなくても、そこよりは大事なのは自分で自分のことを答えを出していき、意思決定できる、そしてそれを仮定で実際に行動に移して試していき、さらにアップデートされる。
何より楽しく、幸せなことです。
最近自分がこういったことが楽しさのポイントではないかと感じました。これになると問題より自分で決めれることの楽しさ、その答えがすぐ返ってきて、また試す、そうしてるうちにそれらの結果がまた出てくる、さらにまた自分で仮定をたて…。
これはどんなものでも使えるので、本もようやく読めるようになりました笑 読み方がわかり取り込み方が自分なりにできてきました。
この自粛中、本を読んだり、ピアノの勉強したりその過程でこのようなメソッドを使い、気づきが増え、自分で答えを出したことを実際に試して、それが自分にフィードバックされその結果が自分に新しい知識をくれる。学ぶことが楽しいです。というか、自分で決めれることが何より楽しいです。
このような楽しさのループに入るきっかけが自分で答えを出すこと、です。
学ぶことも先の自分で考えることの具体例で書きましたが、自分で参考のものと比べたときにの違いを見つける、それそのものがものすごい勢いで学んでる最中です。そこにはアナログな細かい脳内変化があり、自分でここがポイントか、も仮定の答えを見つける、これは学びであり、何にも変えれません。
そこに先生がこのポイントはここだよ、と言われるとデジタルにカットアウトして教えられる、その細かな気づきのポイントやそこにいたった言語化はできないかも答えの参考にした脳内の非言語化プロセスなど失われ、なぜそれがポイントなのかもわからなくなります。
そのためには答えを教えないという、教え方は大事です。
それは自分で決めるので自分に負荷はかかります。人に教えてもらった方が簡単で楽です。しかし、体も脳も人間も、楽をしているとしっかりと後退します。運動してないとしっかり筋肉はなくなり、何も考えないとしっかり頭はボケてしまいます。
筋トレがとってもわかりやすい成功体験と言われるのはやった分だけつくのがわかりやすいからだなぁと思いました。
答えが自動で出される時代に大事なのは自分で決めること、自分である、自分を統御すること。
AI、ロボット時代にこの楽しみは誰にも奪われないようにしたいと思いました。特に教育という洗脳のもとでは。
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見てるだけでジャズが詳しくなったような気がする、演奏動画。毎日アップ中。
ジャズピアニスト かねこ