昨日のエアコン設定でも暑いなぁと感じて温度設定を変えた。特になんてことない動作だけど、こうやって自分は情報か感情か何かわからない刺激によって変わっていくんだなぁとふと思った。
初めてインターネットに触った時は「これで服を買うことはない」と言っていたが、今ECアパレルは上場してたりする。
コロナでオンラインが当たり前になってきているが、僕の価値観だけではなく「価値観はそもそも知らず知らずに何かによって変化させられてるんじゃないか」そんなことを感じたので、今日はこのことについて頭の整理に書いてみたい。
コロナによってオンラインで会議が良く行われている。その中でも大事な要件は会うことが大事だ、なんていわれているが、きっと「会うことの意味」なんて言葉は死後になり、「大事な要件の方が大事」というしごく当たり前のことに気付いていくんだろうと思う。
オフラインで会うとかオンラインで会うとか、そんなことの使い分けが意味がないくらい、その時に最適な形でコミュニケーションをとることが普通なことになっているんだろうなと思う。
実はずっと一緒にいた人がデジタルと知ったらどう思うだろう。触れてたけど、コミュニケーションしていたけど実はデジタルな情報だった。もしかしたら今はショックかもしれない。でも今ここに書いたのはさっきの「会うことの意味」の話と全く変わらない。
フィジカルである意味より目の前にあるものを捉えてコミュニケーションや触れていた感覚をリアルタイムで自身にフィードバックできていることの方が大事で、そんなしごく当たり前のことになっていくのだと思う。
こんなことを書いていても「いやいや、さすがにそれは違うんじゃない?」と思う。そんな自分はわりと好きだ。矛盾していてこそ人間だし、一貫性のない中に一貫性をそこはかとなく見つけ出すことは好きだ。
以前は違う、と思っていたことが気づけば当たり前になっているということはネット、スマホの登場のたびに経験してきた。スマホを初めて持った時に驚き、面白くてそれまでの感覚を置き捨てすぐに服をポチった。
いつのまに「ネットで服は買うことはない」は変わったのか。インプット・アウトプットに勤しむ世の中、中にはインプットしかしないインプットゾンビもいるが、そもそも世の中には価値観をキープをする、という発想はそもそもないわけだから、変化して当たり前かもしれない。それにしてもいつのまにか知らず知らず変化していく。
デバイスはアップデートするのはわかるが、自分はいつアップデートされたのか。スマホを手にとった瞬間?ポチッと便利を実感した時?みんな使っているから?。どれも違う気もするし、どれも当てはまるような気もする。
そうなるとアップデートされる要因は自分でコントロールしにくいものなのかもしれない。それだけに自分で触れるものや感じるものはなるべく自分でしっかりと選んでおきたい。
「いやいや、それは違うでしょ」と言っていたことが今は自分で当たり前にやっていて、そのことすら忘れて今は別のことに「いやいや、それは違うでしょ」と言い出す。きっとそれも未来にはしごく当たり前になっているのかもしれない。
ただやっぱり記憶の売買は行われないと思う。新聞がデジタル化したものが今はないように。例え未来でもなんでも可能になるわけでなく、何かの流れの中でないものはやっぱりないんだろうなぁと思う。
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