ども!kassyです。
1ヶ月以上記事を書くのをサボってましたが、久々に記事を書いてみたいと思います。
さて今回はタイトルの通り、歩きネタを書いていきます。一応、歩きも散歩じゃない限り立派な旅カテゴリーであるという自己解釈ですwww
今回の歩きは、ねむりやさんのnemlogのこの記事に触発され実施しました。
後の履中天皇が弟の墨江中王に焼き殺されそうになったところを家臣により、奈良へ逃げ帰ると言う記載に基づき実施しました。
当然スタートは古事記の通り、難波宮。
当時、高津宮に住んでいた事からその跡地とされる高津宮(高津神社)に参拝し、奈良へ向けて出発。朝の6時半という時間帯もあり、静かなスタートとなりました!
まずは四天王寺方面へ向かいます。
実際に履中天皇がどんなルートで奈良へ向かったのかは断片的にしかわからないため適当に奈良方面へ向かったのですが、古事記で見られる地名を考えるとおそらく難波宮から大道を通り、金岡神社付近で竹内街道(横大路)に入り、丹比野(羽曳野付近)から大坂の山口(奈良県香芝市穴虫峠)を避け、竹内峠を越えて奈良に入り、石上神宮を目指したと解釈できます。
本来ならば、記載通りに歩くべきなんでしょうが、難波宮から金岡神社付近までの大道は完全に失われており、歩く意味がないと判断。加えて竹内街道(横大路)は以前記事にしてるので、パスします。
てことで、まずは四天王寺。
直接四天王寺の記事は書いたことがないのですが、関連記事としてこんな記事も書いてました。
四天王寺創建当時から工事に携わった金剛組についての記事ですが、ちょうど今も工事をしてて・・・
相変わらず金剛組が受注してて笑いましたwww
四天王寺を後にし、旧奈良街道(現在の国道25号線)に沿って奈良を目指して天王寺方面へ向かっていたところ、こんな看板を見つけました!
最古の官道「大道」は失われてしまいましたが、地名には痕跡が残っていてちょっと感動しましたwww
大阪市内を抜けると八尾市内に入ります!
八尾では以前から太子堂という地名が気になっていたのですが、車でしか通ったことがなく謎のままだったんですが、今日歩いてみて実際に「太子堂」てのがありました。
正式名称は「大聖勝軍寺」というらしいですが、地元では「太子堂」として親しまれているようです。崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋に勝利したのを記念して建立されたようです。
余談ですが、寺の入り口に「守屋池」という干上がった池(ていうか...)が嫌みに残されてて笑いましたwww
太子堂を過ぎ、同じく八尾市の志紀駅を通過。
特に遺跡もないんですが、志紀と言えば奈良の磯城とも関連が深く、また近隣に弓削の地名もみられ歴史上、重要な場所になります。
弓削道鏡と言えばわかる人もいると思いますが、この辺りに住んでいたと考えられます。
八尾市内を抜けると柏原市内に入りますが、見るべきものもなく(失礼w)とっとと足を進め、遂に大和川を渡り奈良との県境の街、河内国分に入ります。
市街地もここまでで、大阪教育大前の駅を過ぎると奈良へと向かう田尻峠が立ちはだかります。古事記では「大坂の山口」との記載がありますが、今回通った田尻峠ではなく、少し南の穴虫峠だろうと考えられます。穴虫峠はかなり遠回りになるので、ヘトヘトなのでそのまま「田尻峠」を突き進み県境を突破w
峠道は歩道もなく危険なので、途中香芝市関屋の町内から二上駅を目指しました。(それでも結構アップダウンありw)
ゴールも近いとあって、二上周辺の式内社論社で同名の神社「大坂山口神社」を2件参拝してきました。
香芝市穴虫にある「大坂山口神社」と香芝市逢坂にある「大坂山口神社」はわずか500mくらいしか離れていないのに何故??
と思いつつ、検証記事を後日書きたいと思いますw
てことで、後30分ほど歩き無事自宅に到着w
2週間サボったつけが回ってきたのか、足はパンパンでしたwww
総移動距離(Google fit調べ)28.55km
歩いた歩数は・・・
てことで、皆さんも歩いてみては如何でしょうか笑