ども!kassyです。
今回取り上げるのは、「葛城一言主神社」
「また、地味な神社の紹介かよ!w」という声も聞こえてきそうですが、いつも通り「単なる地味な神社じゃない」ので、最後までお付き合いくださいwww
葛城一言主神社は創建時期は不詳となっていますが、古事記・日本書紀にも登場する延喜式内社でもあります。
祭神は2柱
葛城之一言主大神と幼武尊(雄略天皇)となっています。
「古事記」によれば、雄略天皇が葛城山中で鹿狩をしていると一言主神が雄略天皇と同じ姿で現れ、天皇が「誰だ、てめぇ!」と尋ねると、「神じゃ!他人に名前を聞く時はまずは自分から名乗らんかい!」と一括。「幼武尊です」と名乗ると「一言主神じゃ!」と名乗ったという・・・
その後一緒に狩猟を行い、雄略天皇は一言主神に大御刀や弓矢などを献上し、天皇を凌ぐ立場にあったようだが、「日本書紀」の記述では対等に近い立場に変わっている。
「続日本紀」での記述では、狩りを競った雄略天皇の怒りを買い、土佐国へ流されたと記述されており、どんどん立場が悪くなっていくのであった。
これは単なる作り話ではなく、当時葛城の地で権力を誇っていた鴨氏と天皇家の力関係を表していると言われている。天皇家の権力が高まるのに反比例し、葛城における鴨氏は衰退の一途を辿るのである・・・
以前、鴨氏に関する記事を書いていたので、併せて読んでいただきたい。
葛城の地を後にした「鴨氏」は全国各地に散らばり、氏神は各地で「鴨神社」「賀茂神社」「加茂神社」として今日まで崇敬を集めている。
さて、役行者(えんのぎょうじゃ)という人物を聞いたことがあるだろうか??
修験道の創始者と言われる役行者は鴨氏の出身であり、生まれも葛城の地と言われている。
何、「役行者」も知らないって???
色んな山鉾がある中に「役行者山」てのがあるので、知っておくように!
ちなみに「役行者山」は応仁の乱以前から存在する舁山で、ご神体は「役行者」「一言主神」「葛城神」の三体である。
決して地味な神社じゃないので、よく覚えておくように!
歴史を学べば、世界が広がるでしょ???
では、歴史ジャンルができればまた復活しますねw