先日、教育・子育てカテゴリーが出来てから初めての記事を書きました。
みりんさんのイラスト入りアイキャッチのおかげもあって、たくさんの方からいいねと投げ銭をいただきました!
ありがとうございます🙇♂️
これもとっても嬉しいことなのですが、この記事にかかわってもうひとつ、嬉しいことがありました。
まず、こちらをご覧ください。
学士さんがコメント入りでリツイートしてくれている!
学士さんに限らず、 僕の記事をリツイートしたりコメントしてくださったりするのはこれまた嬉しいことのひとつなのですが、今回は続きがあります。
このコメントは誠心誠意、お返事せねばと思ってお返ししていると…
質問してくださってる!
これは興味を持ってくださっているということですから、嬉しい!
そしてまた、お返事をしていくと、最終的に…
いや、学士さんからすれば僕のお返事が要領不得で意味不明だっただけなのかもしれないですし、実際に僕もクリアなお返事ができなかったんですけれど、ここからは完全に僕の勝手な主観で書いていきます。
この「嬉しかったポイント」がどこかというと、まず、はっきりと「分からない」と言ってもらえたことです。
冒頭に挙げた僕の記事も、学士さんとやり取りさせていただいた内容も、シンプルに答えが出るようなものではなく、いろいろな要素が絡み合った複雑なものでした。
また、僕自身も完璧に理解しているわけではないので、どこか考えながら、悩みながら、模索しながら書いた内容だったんです。
なので、ぐるぐると頭の中を駆け巡る考えを生煮えのままに文章にしたことで、わかりやすい回答をすることができず、どこか雲を摑むような話をしていた自覚がありました。
そう思っていたところでの、学士さんの「分からない」。
シンプルに、分かってもらえるだけの力が僕にはなかったということなのですが、そのことも含めて、複雑なテーマが「すぐに分かる」ことこそ、嘘じゃないかと思うんです。
TwitterやALISの記事でも、常に考え、常に学び続けている学士さんが、「分からない」と頭をグルグル回してくださっているそのことに、僕は嬉しさを感じました。
世の中のことって、そんなに「すぐに分かる」ことなんてないと思っています。
でも、普段の生活のなかでは、なんとなく「分かったフリ」をして済ましてしまうこと、ないですか?
僕も知らず知らずのうちに、そんなフリをしてしまっていることもあります…
ましてや、Twitterなどの場では、「分かったフリ」をして話を終わらせてもいいはず。
そんななかで、「分からない」という言葉は尊いとすら思うのです。
そう言ってもらったことによって、僕は「分かってもらうためにはどうすれば良いか」ということを考え始めて、より考えを深め、書き方を磨き、分かってもらう言葉をなんとかして紡ぎたいと考えます。
しかも、この学士さんの「分からない」の言葉は、僕を責める「分からない」ではないですし、関係を断つ「分からない」ではありません。
「今後の記事に期待」と書いてくださったように、僕のこれからを待ってくださっています。
ここから僕の更なる学びが始まるし、僕の成長が始まるんです。
そう思うと、「分からない」と言ってもらえたことは教育者冥利に尽きるなと思いました。
学士さんのTwitterやALISでの言葉を眺めていると、学び続けることの大切さを感じます。
「まわせ、まわせぇ〜」はクリプトエコノミーを回し続けるための学士さんの名言ですが、きっと学士さんの頭のなかも常にいろいろな考えが回り続けているんだと思います。
僕はこの学士さんの振る舞いに、哲学者としての姿を見ます。
僕もこうありたいな、と思いますし、そうした思いを強くした出来事でした。
これからもコツコツと記事を書きながら、この「分からない」に向き合いたいなと思います。
いや…
ということかもしれませんが、嬉しくてつい、こんな記事にしてしまいました。
教育の記事もこれからコツコツ書いていきます!