2019年2月15日、夏に北海道・石狩で開催される「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO」の出演アーティスト第1弾が発表されました。
そのなかに、2002年に解散した「NUMBER GIRL」の名前が挙がっていたことが大きなニュースとなりました。
1995年に福岡で結成され、熱狂的なファンを次々に獲得していった伝説的ロックバンド…ということを、僕はタイムリーにでは無く、いろいろな方が書いた文章から後付けで知りました。
解散後に「ナンバガ」の存在を知った僕ですが、今でも聴ける音源を出来る限り聴きながらそのパワーと世界観にハマった身として、今回のニュースは間違いなく衝撃的でした。
もう「過ぎ去りし日の伝説的バンド」だと思っていた存在に、直に触れることができるかもしれない…
この事実は、感動的ですらあります。
まさか、そんな日が来るとは…という感覚ですね。
僕がナンバガの存在を知ったのは、台湾のインディーズバンドの音楽的背景をたどっていったことがきっかけでした。
そのきっかけとなったのは、「Midnight pingpong(午夜乒乓)」という台湾の新進気鋭のインディーズバンドです。
1年前、彼らのファーストアルバム「劇烈物語」を購入しました。
このアルバムのタイトルカバー曲、「青春劇烈物語」はみずみずしいロック感溢れるアップテンポナンバーとなっています。
このMidnight pingpongは、台湾の伝説的なインディーズバンド「透明雜誌」のボーカル・リードギターだった洪申豪さんが立ち上げたレーベル「Petit Alp Records」からデビューしました。
透明雜誌は2006年に結成されたオルタナティブバンドで、日本でも2012年に「透明雜誌FOREVER」というEPを発売しています。
このEPのタイトルナンバー「透明雜誌FOREVER」などは、確かに、Midnight pingpongの楽曲に影響を与えたんだろうなと思える爽やかなロックナンバーとなっています。
さて、「透明雜誌」というバンド名を見れば、ナンバガのことを以前から知っている人ならもうピンと来るかもしれません。
そうなんです、彼らのバンド名はナンバガの代表的なロックチューン「透明少女」から採られた名前なんです!
台湾のウィキペディアにも出典が示されていましたが、台湾の音楽情報誌「Puts Sound」のインタビューに洪申豪さんが答えて、「バンド名はNumber Girlのシングル「透明少女」とポストパンクバンドMagazineから採った(團名來自Number Girl的單曲「透明少女」及Post-Punk樂團Magazine)」とあります。
透明少女…間違いなく、透明雜誌やMidnight pingpongのルーツだと言えますよね。
「透明雜誌FOREVER」のMV、この「透明少女」のMVにインスパイアされている…ということを感じませんか?
ナンバガから台湾のインディーズバンドへと脈々と受け継がれていったロックバンドの系譜を、僕は台湾のインディーズバンドから辿っていきました。
それはたかだかこの1年の話ですが、この短い時期のうちに彼らの歌を聴き続けてきました。
そんななかで知らされた、ナンバガの再結成。
南国の台湾で開いたナンバガへの扉が、まさか、今年の夏に爽やかな北の大地に繋がるとは。
これは、聴きに行かなきゃいけない…でしょうか?