ぼくは人生を博打だと捉えて生きております。
ぼくの住んでる地域の新聞。そこの死亡欄で今日は10人が亡くなっておりました。
50万人くらいが住んでいる県なので0.00002%の確率で死んでしまうのですよ。
99.99998%は明日も生きてますけど、超低確率で明日死にます。
当たり前ですが、永遠には生きれない。
そして、いつ死ぬか分からないのです。
これが皆さんの考えにありますか?
誰しもが80歳まで生きる保障などない。
ならね!明日死んでも悔いのないように生きねばならないのです。
ぼくは仕事柄、年寄りと接する機会が多いのだが、90歳でも『まだ死にたくない』と言う人が1割くらい居ますよ。
90歳で、もう身体はロクに言うことを利かない不自由な身なのにも関わらず。
90年も生きても、まだまだこんなに生きたいのには理由があるんですよ。
何か遣り残したことがあるんですよ。
バイタリティがあって良い!という意見もあるだろうけど、ぼくはそうは思いません。
なぜ、もっと早くに取り掛かって達成しておかなかったのだ!?と、思ってしまうのです。
だってそうでしょう!もう身体の自由がききませんから、その遣り残しも達成されることがないのだから。それでも未練が残っているので、生に執着がありまくる。
老害は死ね!という訳ではありません。
戦中、戦後で、そんな余暇がなかった時代だったのですから、時代背景を考えると分からんでもない。
しかし、ぼくは、そう思わずにはいられないのですよ。
だから、ぼくは、精一杯考えて自分の達成したいことはドンドンやっていこうと思って、毎日を過ごしております。
まずは、仮想通貨で億り人です!