3月期決算の企業による3Q(10-12月期)決算の発表が本格的に始まった。証券アナリストにとっては睡眠時間を削られる毎日であろう。特に決算が集中する来週の金曜日などは徹夜でレポートを書き上げることになる。
ちょっとお尋ねするが、みなさんは証券会社のアナリストレポートを読まれたことがあるだろうか。わたしの場合には職業柄、アナリストレポートのある日常が当たり前なのだが、考えてみると一般の人にとっては馴染みのないコンテンツなのかもしれない。アナリストレポートを読みたいと思えば、証券会社と直接、購読契約を結ぶか、あるいはレポートの配信業者であるIFIS Japanから購入する必要がある。もしかしたら他の方法もあるかもしれないが、いずれにしても無料で読む機会は一般的にごく限られるのだろう。
それでは、アナリストレポートをご存知ないとして、みなさんは読んでみたいと思われるだろうか。実際のレポートを転載するのは何となく差し障りがありそうな気もするので、昨日投稿した日本電産の決算内容をアナリストレポート風にアレンジして少しだけ書いてみたい。例えばこんな感じである。
「1月23日に公表された3Qの営業利益は327億円で、当初コンセンサスの422億円を下回る実績となった。また、通期の営業利益見通しも1,500億円から1,400億円に下方修正された。外部環境の悪化に加えて、電気自動車(EV)用モータの立ち上げ費用が要因とみられる。決算の数値自体はややネガティブな印象だが、足元の業績には底打ち感が強まっているほか、注目するEV用モータの長期的な成長シナリオはむしろ前回よりも達成確度が増している。引き続き投資判断は『強気』を継続したい。なお、業績予想と目標株価は取材後に見直す」
これを読んで、みなさんはどのように思うだろうか。アナリストが労苦を注ぐレポートだが、残念ながら大半は面白くもなんともない。なぜそう感じるのか。アナリストによる独自の分析や見解がないからである。特に決算レポートはそうなりがちだ。会社側の公表を鵜呑みにした内容ばかりで深みがない。自戒の念も込めて書くが、決算の数字が当初の予想やコンセンサスに対してどうだったのか。ポジティブかネガティブかニュートラルか。サプライズはあったのか。ほぼそれだけである。
それでは良いレポートとは何か。自分の予想と乖離した場合、なぜその乖離が生じたのか。一過性要因なのか構造的な要因なのか。マーケット要因なのか個社要因なのか。要因分析を踏まえて、今後の見通しはどのように変わるのか。それによって業績予想と投資判断はどのように変わるのか。それまでの独自の情報収集を踏まえた差別化された分析の視点が盛り込まれるとなお良い。
しかし、そんなレポートを目にする機会は滅多にない。アナリスト側にも弁解の余地はあるだろう。決算発表の場合には速報性が求められる。フェアディスクロージャーの名の下に会社側の情報開示が限られる。しかし、それは単なる言い訳にしか聞こえない。それならレポートを書かなければ良いのである。裏づけに乏しい内容を投資家に公表することは株式市場をかえって混乱させる。
「昔はよかった」などと古臭いジジイになるつもりはないが、それでもやっぱり20年近く前はもっと骨のある特色のあるアナリストが今よりもいた。ドイツ証券の佐藤文昭氏、モルガン・スタンレー証券の山本高稔氏、ドレスナー証券の若林秀樹氏。担当企業に愛情を持ち、だからこそ耳の痛いオピニオンを敢えて発信していた。
なぜ、このようなキャラクタリスティックなアナリストが減ったと感じるのか。逆説的だが、会社側による情報開示の向上が背景にあると思われる。たしかに、現在はフェアディスクロージャーの時世である。それでも、昔に比べて企業の情報開示は格段に改善した。2000年初頭の富士フィルムは決算短信をひたすら読み上げるだけだった。そんな企業は当時、別に珍しくなかったのである。今はどうか。決算説明会資料が作成され、セグメント別の情報が詳細に開示される。すなわち、情報を取得するためのコストが低下した。会社側から数字をヒアリングする力が落ちているのである。「情報量と注意力はトレードオフの関係にある」とは誰かの言葉だ。
みなさんのお目汚しになることも構わず、そもそも企業分析に関するnoteを書き始めたのも、アナリストレポートとは違う、自分なりの表現方法で企業の姿をなるべく面白く、しかも経営者への敬意を持って伝えたいと思ったからである。そして、そのこと自体にどれくらいのニーズがあるのか知りたいと思ったからである。
考えてみれば、あるいは考えるまでもなく、40歳も半ばを過ぎて、ひきこもりで人見知りな性格と自己分析するのは笑止なことであろう。ただ、このような情報発信を通じて、外の世界との回路を少しずつ開いていきたいと考えている。