一千一文字の世界/三『ポケット』

所用があり早朝に家を出ると、途中、互いに白髪混じりの初老の夫婦とすれ違った。朝の散歩だろうか。口髭をたくわえた紳士は強面で、両手をコートのポケットへ無造作に突っ込んでいた。左側にいるご婦人は、紳士の歩幅に合わせるために小走りになっていた。紳士の顔は無表情を通り越して不愛想の域で、ふたりの恋はとうの昔に花火となって散ったかに見えた。──が、婦人の右手は紳士の左のポケットに入っていた。

今朝は今年一番の寒さになるという。ちらりと婦人と目が合った。

「こーんなに寒いのに、なんであなたの手はこーんなに熱いのー。へんな人ねえ」

と、彼女は私にも聞こえるように声を張り上げた。はにかんだ笑顔は四十年前の婦人を思わせた。きっと──可愛らしい人だったに違いない。

ポケットの中は今も昔もあたたかい。


ちびまゆさん朗読『ポケット』(https://note.mu/chibimayu/n/n951e000ce545


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公開日:2018/12/02
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散文家。現実を詩や小説に変えています。自己紹介用の記事はこちら。(https://alis.to/kutsunay/articles/39rByBGY1rGp)
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