果てしなく自由

「Kさん、お父さんが亡くなったら本当に自由になっちゃうね」

友人がこう言ったのは去年の暮れだった。祖父母と母はもうずいぶん前に亡くしていて、気懸かりは父だけだった。待ち焦がれるというわけではもちろんなく、ふっと来るべきときにその日が来ればいい、と思っていた。

ろくでなしの息子ではあったが、育ててくれた人を悲しませるのは人並みに辛かった。コピーライターをやめてタクシーの運転手になったり、大学講師をやめて浮浪者を目指したり、一生結婚しないと高らかに宣言したり、父は心底残念だったと思う。冷たく自分本位の私の胸であっても、それらを伝えるときはいつも痛かった。だから、そのたがが外れたら無茶苦茶するつもりだった。おかしいと感じたことはすべて蹴散らして、自分が正しいと思うこと、真実は誰にも分からないとしても、少なくとも私自身がそう思えることだけに邁進するつもりだった。

そして年が明けて一月二十三日、その日が来て、その後の日々が続いている。

父が亡くなった翌日の夜遅く、弟から電話があった。葬式などの日程が決まったこと、出席しない私は今ベトナムにいることになっているということ、そして、彼は笑いながら続けた。

「あとでオヤジの死に顔を撮って送ってやるでのん。今隣におるで」
「いらんわ!──隣にいるのか?」

この手のことに私は白痴なのだが、死んだ者の隣に寝て、線香やろうそくの火が消えないように一晩中見張るものらしい。田舎にある実家の母屋はなかなかの広さだが、そのがらんとした家の仏間に父が寝て、その横に弟はいるという。彼の妻や息子は離れにいるので、ふたりきりで。

「怖くないのか?」
「こえーよ」
「きっと母親も爺さん婆さんも全員集合しているだろうなあ」
「こええ!」

弟はそう叫んで笑い、どたどたと走る音が聞こえた。離れに逃げるまねだろう。

その後、私は遺産放棄のための印鑑証明を用意しておくと伝えた。弟には本来私が生きるべき、田舎の普通の人生を肩代わりしてもらった。本当に頭が上がらないが、できることはこれくらいだった。そういえば、私は自分の意地汚さと意志の弱さを恐れ、生前の父に頼んだことがあった。しかし、

「遺産は弟にと一筆書いておいて。私はいざとなったら分からないよ」
「なあに、お前らは大丈夫だ」

と父は自信たっぷりに言った。そして、その通りだった。今振り返れば、私に自分で区切りを付けさせる配慮にも思えた。あるいは──父は弟だけではなく、私も信頼していたのだろうか。

さて、この先の自由をどう生きるのか、もう一度考えなければならない。果てしなく広がる海原を前に、たった一人で立っている気分だ。


夕暮れどきの故郷の海と伊良湖岬。神島の灯台が光っている。

公開日:2018/12/04
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  • @kutsunay
散文家。現実を詩や小説に変えています。noteでも書いています。https://note.mu/kutsunayuichiro
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