一千一文字の世界/ニ『エネオス』

「グリーンはすすめ、レッドはとまれ、イエローは……なんだっけ?」
「注意して進め、よ」

三歳くらいの男の子と母親が、後部座席で楽しげに話している。

「ねえ、ぼくたちどこでおろすの?」
「え? ゆうくんは降ろすんじゃなくて降りるって言うのよ」
「ぼくたちどこでおりるの?」
「うん。もうちょっと行ったところよ」
「あ、エネオス!」
「エネオスだねえ」
「きょうはタクシーのっちゃったね」
「うん。ゆうくんがいい子にしてたからご褒美よ」
「はやいね、このタクシー」
「速いねえ」
「あ、こうばんだよ」
「うん。交番だねえ」
「おまわりさん、いるかなあ?」
「うーん、見えないねえ」
「きっとおしごとしてるんだねっ」
「え? はは。お仕事してるんだねえ、きっと」
「あ、エネオス!」
「ふふ。エネオスだねえ」

その後も絵に描いたように幸せな会話が続き、やがて目的地に着いた。

「さあ、ゆうくん、降りますよ。運転手さん、おいくらですか?」
「千四百六十円になります」
「じゃあ二千円でお願いします」
「はい。では五百四十円のお返しになります」
「ありがとうございました。あ、ゆうくん、それはお母さんにちょうだいね」

差し出されていた男の子の手を越えて、母親へお釣りを渡すと、男の子はちょっと悲しげな顔をした。だから母親には「けっこうです」と言われた領収証を切り取って、男の子に手渡した。男の子はミトンの手袋をしていて、それはこの世のものとは思えないほど愛らしかった。男の子はその小さな指先で、クッキーモンスターのようにぱくっと領収証を挟んだ。そして、にっこり笑った。母親が「よかったねえ」と言って男の子の頭をなでた。

男の子と母親を降ろし、次の交差点でUターンして都心へ戻る。さっきのエネオスの前を通ったとき、ふたりの会話を頭の中でもう一度繰り返した。以来、エネオスの前を通るたび、やさしい気持ちになる。


ちびまゆさん朗読『エネオス』(https://note.mu/chibimayu/n/ne117a77a02ab


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公開日:2018/12/01
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  • K
  • @kutsunay
散文家。現実を詩や小説に変えています。自己紹介用の記事はこちら。(https://alis.to/kutsunay/articles/39rByBGY1rGp)
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  • K
  • 2ヶ月前

ありがとうございます!もう一度あの親子に会いたいです。笑

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  • ころん
  • 2ヶ月前

暖かい気持ちになりました🎵いいなぁ🎵

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