2011.7.23~7.30 家族で初のヨーロッパ旅行へ行ってきました。もう9年も前になるんですねー。つづきます。
2011.7.28(木)
本日は、モンサンミッシェルへ日帰りオプショナルツアーであります。
ちょっと地図で確認してみましょう。右下の濃いミドリ色のところが「アルプス山脈」ですねー。モンブラン4810.9m最高峰の他、マッターホルン、ユングフラウなど・・・。モンサンミッシェルは、地図の一番左。拡大図は、左上ですよ~
7:40頃 朝から混んでますなあ。。。。
ちょっとしたところもコテコテにデザインされていますねー^^;
コンコルド広場です。鉛色の空ですわん・・・・
右側の先っちょが金色の鉛筆みたいな塔は、オベリスクです。古代エジプトに多く製作され、神殿などに立てられた記念碑の一種。近代および現代では、欧米の主要都市の中央広場に建設されその地域を象徴する記念碑。
エジプトのルクソール神殿から運んできたようですよ~。紀元前1000年以上前に製作されたのかなあ。コンコルドの意味は、協調、調和だそうですよ~
この広場は、フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットへの斬首が行われた刑場です。広場の名前で印象を代えようとしても、鉛色の空色が蓄積された歴史に覆いかぶさっているかのようですね・・・。
一気に飛びます(笑
12時ごろです。モンサンミッシェル付近の集落です。iphone4のマップ車経路で調べると、リヨン駅からモンサンミッシェルまでは370.5km。4時間11分と表示されましたねー。いや~日帰り往復ツアーなんですが、さすがに遠いですわあ。日本でいうと、東京=名古屋間みたいなもんです^^;;
北海道みたいですよね~
ドイツの古城街道と違って華やかさはありませんが、いや~渋いです~!好きだなあ。。。。
12:20頃、モンサンミッシェル入り口辺りのレストランで昼食です。シードル&巨大名物オムレット、美味しかったですよ~(シードル=発泡性林檎酒。日本でも飲めるのかな?美味しかった^^)
モンサンミッシェルに伸びる道路から。いい天気♪ 暑くなりましたよ~
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)とはフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院。
カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称されています。世界遺産。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、潮の満ち引きの差は15メートル以上あるそうです。1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、島の間際まで潮が来ることは滅多にないようです。ですので、道路を壊し橋に架け替える計画があるようですよ~。
海鳥がすう~っと飛び交っています。いや~、いい風景です。魔女の宅急便や紅の豚、まんまですよ~
左は郵便局。賑わっていましたよ~狭い道です~
どんどん登っていきますよ~
お墓もありました。
路地がいい感じ(笑
おお!狭いです~
こちらの修道女の方でしょうか。微笑が美しい^^
ほぼ頂上からの駐車場方向の景色です。いや~広大ですよ~
天辺まで来ましたよ~
青い空に海鳥がすう~っと・・・
モンサンミッシェルの沖合い3kmにあるトンプレンヌ小島。百年戦争時代にはイギリス軍がこの島に要塞を築き、モンサンミシェル攻撃の拠点にしたそうですが、現在はわずかにその要塞の跡があるのみだそうです。
モンサンミッシェルも今のように修道院ができる前はちょうどこの島のような単なる岩の小島だったそうですよ~
泥砂の上にいろんな文字が見えますね~ 歩いて小島まで向かう人たちもいましたよ~。それにしても広い^^
最上部ですよ~。礼拝時に下の階にも神さまが降りるように?左手前に穴が開いているらしいです^^
ミカエルは、天軍の長であり、最後の審判のときに死者の心臓をはかり、天国に送るか地獄に送るかを選別する役割を果たす。う~む・・・それで天秤が・・・。
尖塔の先端には、黄金のサン・ミッシェル像が取り付けられている。この像は、近年になってヘリコプターで塔の先端に取り付けらましたよ~
寺院の内部に庭園があり、その周りを回廊が囲んでいます。1日に8時間もの祈りを捧げる厳しい生活の僧侶たち。
海と天の間に浮いた形の回廊は、モンサンミッシェルに祈りを捧げる、僧侶たちの散策、瞑想、会話の場所でした。
井戸かなあ?調べたのだけどよく解りませんでした。ただ、この空間に惹かれたので載せておきますよ~
人力式クレーン 轆轤につなげた水車のような大きな木製のホイルの中に6名の囚人が入り、歩くことによりホイルをまわし梃子の原理で食料品などの重量物を2トンまで巻き上げることができたそうです。
聖ミカエル像(サン・ミッシェル像) 尖塔先端の金色のものと姿は同じだが 兜と顔の表情が違うようですよ~
う~ん、流し目・・・ハンサムでんがな・・・・。
新しい教会は、古い教会の上に建てられ、そうして、古い教会は完全に破壊されることなく、一部は地下聖堂として残っていくんですね~
美しいです。海鳥がすう~っと・・・
下まで降りてきました。
この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。
708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。
966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て[3]、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。
百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。モン・サン=ミシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。
18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。
19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となっている。
1979年にはユネスコの世界遺産に登録された。2006.8.5現在、3人の修道士が在住し、9人の修道女が近隣の町から通って運営に当たっている。
モン・サン=ミシェル 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年1月1日 (水) 07:13
島の裏側を散策してみました。
すごいアームの長さです。修復作業なのかな。
美女(?)が二人、気持ち良さそうに寝ていました^^
子どもが二人、気持ち良さそう~ でもね、ちょっとドロ臭いんですよ。干潟状態ですからね~^^;
モンサンミッシェルのウミウシを探せ!な~んて思ってたのですが、ちょっと無理ですね~
朝からやってきて、(もしくは近くに一泊して)一日朝から晩まで、ここでのんびりと過ごすという旅行者も多いそうですよ~。
13:00~15:30までモンサンミッシェルを散策した後、再びパリに戻ります。やっぱり、もうちょっと時間が欲しいですねー。この日帰りツアーは、オプショナルツアーで10000円でしたよ~
どんどん離れていきます。
やっぱりインパクトありますねえ。。。周囲約900m、尖塔までの高さ150mのようですよ~
家々は、バス窓から撮りましたよ~。シャッタースピードを上げて暗めに撮って、ソフトで加工して明るくしているのでちょっと不自然な感じですけど・・・。今考えたら、ISOを上げれば良かったのか!う~む・・・
それにしても、渋い家々でございます。好きだなあ~~~。
ってなわけで、モンサンミッシェルの日帰りツアーでした^^
++++++++++