はいこんにちは、アート屋ですよ!
先月、引っ越し屋さんが実家からベッドなどの家財を運び込んでくださったとき、部屋がまだこんな状態だったんですね。
これだけでなくカメラの外にも絵が満載なわけですが、そんな部屋を見て引っ越し屋さんが「すごい、これ全部絵ですか」と聞いてきました。
「はい、全部私の作品ですね」と私が答えたところ、
「えっすごい!僕全然絵が描けないからほんと尊敬します!やっぱり才能ですよね~~」と返ってきまして。
才能。
アート関係の方ならみなさんよく言われる言葉だと思います。アートは才能でやるもの、というイメージが一般的にかなりあるようです。アーティストはハナから自分たちとは違う人種だと言わんばかりの、このアート才能必須論はどこからきたのでしょうか。
ピカソ、ゴッホ、ダ・ヴィンチ、モネ、ゴーギャン、ムンク、ダリ、雪舟、ルノアール、フェルメール、シャガール、北斎、ポロック、セザンヌ。
以上は、名古屋郊外の大学の大学生四十数名(非美術・教育系)に聞いて上がってきた「誰でも知っている有名な芸術家の名前」を、多かった順に並べたものです。十四人中十人がモダンアートの画家。その中でもずば抜けて上がる頻度の高かったのがピカソです。ピカソとゴッホしか出てこない学生もいます。
(引用元:『アート・ヒステリー なんでもかんでもアートな国・ニッポン』大野左紀子著/河出書房新社)
普段アートに関わりのない日本の方が思い付くアーティストの典型例は、やはりピカソなのだそうです。それも特にピカソのキュビズム絵画。他にもゴッホやダ・ヴィンチなど、モダンアートもしくはそれ以前の時代でアートのイメージが止まっています。
(よく勘違いされますが、モダンアートは現代アートとは異なります。modern artの訳語は近代アートであり、現在のアートシーンはcontemporary art(現代アート)に移行しています。モダンアートは既にモダンではなくなってしまいました。)
さらにそのピカソの強烈な個性や野心的な革新性の部分を強く受け継いだ岡本太郎の存在。
彼が日本のアーティストの代表格のように一般に認知された時代があったことで、『アートは個性的で独創的で一般人とは頭の構造が違う人間(つまりある種の天才)が生み出すよくわからないもの』というような印象が日本人の中に植え付けられてしまった感もありますね。
あとはダリですかね。その天才性を前面に押し出したキャラクターで活躍し、「天才を演じれば天才になる」という名言を残しています。
しかし実際のところ、才能とはなんでしょうか。
それがもし『わずかな努力で高い成果を挙げる天性の能力』だとしたら、私にはそれほど才能はないと思います。世の中にはセンス溢れるスターとかデッサン力のゴリラとか作業量の化け物みたいな人間が星の数ほどいるわけで。
しかもそういったすごい人たちが見えないところでどれほど努力して現在の実力を発揮しているのかなんて、本人以外にわかりっこないわけですよね。なんなら本人も正確に把握していない可能性が高いわけで。
生まれ持った容姿や身体能力の話ならともかく、アートの才能は基本的に観測ができません。だったらもはやそんなものは幽霊やユニコーンと同じでは?実在からして疑わしい……。
私がこれまでどれほど評価されずに苦しみながらここまできたか、どれだけ地の底を這い泥を啜る思いで絶望の荒野を歩み続け、今も茨の道半ばでどれほど血を流し戦い続けているのかなんてことも、引っ越し屋さんには到底知る由もないわけです。
だけど私にも信じられる才能がひとつだけあります。
それは、『諦めずにやり続ける才能』。
これだけは間違いなく自分でも持っていると思います。脳に重篤なダメージを負って人格が劇的に変わったりでもしない限り、私は死ぬまで制作をし続ける自信があります。誰にも認められなくても、お金にならなくても、生活に困っても、腕や視力を失ったとしても、必ず。
何事にも飽きっぽい私が、ただひとつ続けていられること、それが絵です。
気がつけばなぜか描いています。もしくは次に作るもののことばかりを考えています。なぜかはわかりません。
絵を描きたいから、それだけのために生きていて、学業や仕事や結婚なんて二の次三の次という価値観なので、なかなか社会に馴染めません。社会さんサイドからすれば『私が社会を軽く扱っているから社会にも軽く扱われている』ということになるわけなんですが、こればかりはどうしても仕方がないのです。
歴代の職場の方には大変申し訳ないのですが、絵より仕事を大事にすることなんてできません。いくら仕事に集中しなくてはならないと思っていても、描けない時間は脳が自動的に作品の構想を練り始めるので、何をするにもメモリ不足に陥ります。意識を現実世界に留めておくこと自体が難しいほどです。そのため人並みにできる仕事がほぼありません。
職場のみなさん世間のみなさんごめんなさいごめんなさい本当にできないんです。でもお金が必要だからここにいるんです。お金がないと死んじゃうんです。死にたくないんです。なるべく早く独立して誰にも迷惑かけずに絵だけで生きられるようになるんで今しばらくこの役立たずが世間に存在することを許してくださいお願いします。すぐに出ていきますんで石を投げないでください。生きていたいだけなんです。
そんな気持ちで生きているので、私は『アーティストとして成功して専業アーティストになり、やがて美術史に残る作品を作る』という方法でしか、社会に許してもらう術がないと感じています。この目標を達成できるかどうかが人生の全てで、達成しないルートは全てバッドエンド確定なので、やめるという選択肢自体が存在しないわけです。
それにもし活動を辞めてしまったら、ネットとかテレビとかで活躍してるアーティストの人を見る度に「私もこんな風になり『たかった』な~」なんて言いながら社会の底辺にしがみつく手を踏まれながら食うや食わずやの暮らしをして生きていくのかと思うと、それがもう本当に本当に恐ろしいです。日々いろんな人を羨ましく思いながら、いろんな事を泣く泣く妥協して生きていますが、ここだけはどうしても、絶対に譲れないという部分です。自分に愛されて幸せに生きるために、まず前提としてクリアしておきたいくらいの必須条件なのです。
美大を出てもアートを辞めてしまう人がかなり多いという話をよく聞きますし、最近Twitterでもよくこの話題を目にします。美大に行きたくても受験することすら叶わなかった私にはすごくもったいないと感じる話ではあるのですが、その人の人生の中で選べる道を選んだというだけのことなのだから、それもいいと思います。
やめるという選択肢が存在するということは、制作活動をしなくても幸せになれるということですよね。もっと他にやりたいことができたとか、アート以外の手段でも生きていけるとかだったら、こだわることなくやめちゃっていいと思います。
アートに関して言えば、やめても本当に幸せになれる人はむしろやめた方が幸せが近いかもしれません。いかんせん厳しい業界なので、よほど上手くやれてる人か、強迫観念に突き動かされて続けて(続けさせられて)いる人しか残れないのではないでしょうか。
私には他の選択肢がないからいくら失敗しても手を変え品を変え挑み続けるしかないんです。素質がなくても、環境に恵まれなくても、結局戦い続けるしかない。泣き言を言っても勝つか死ぬかしかない。
そういう人間として生まれてきてしまったこと。
他の道を選びようがない一種の呪いのようなものこそが才能なのかもしれません。
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