[髪棚の三冊vol.10]「自分らしさ」について

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【髪棚の三冊】〜感性とデザインのリテラシー〜
vol.10 「自分らしさ」について
□『情報環世界』ドミニク・チェン他(NTT出版)2019年 
□『ダーク・ネイチャー』ライアル・ワトソン(筑摩書房)2000年
□『なめらかな社会とその敵』鈴木健(勁草書房)2013年

 

■「自分らしさ」を語るのは誰?

 「自分らしさ」ってどういうことでしょう?


 美容師はいつもお客さま一人一人の「その人らしさ」を表現することに腐心しますが、この「その人らしさ」というのは「自分らしさ」と同じものではありません。一口で言えば、前者は客観的な人物像で、後者は主観的な自己像です。
 多くの場合、他人から見た「私」と、私から見た「自分」とはズレていたり誤解があったりするのが実情ですし、もっと言えば「自分」のことすら自分でもよく分からなくてアイデンティティを拗らせていることだって少なくないでしょう。「自分らしさ」は、よくよく考えるほどに輪郭が曖昧で危うい、儚くも複雑な存在のように思えてきます。


 とりわけ昨今のインターネット社会では、SNSのタイムラインに流れるのは自らフィルタリングした情報ばかりですし、さらにその動向はwebに組み込まれたアルゴリズムによって検知解析され、レコメンド情報としてフィードバックが返されてきます。
 そのようにして日々膨大に届けられる情報のほとんどは、実のところ既に自分が選別したものばかりで、まるで見えない【膜】によって隔てられた泡(バブル)の中で暮らしているかのように見えます。
 つまり私たちはどれほど好き勝手を生きているつもりでいたとしても、フィルターバブルの内側で「自分らしきもの」を仮想して、それを「自分らしさ」として信じることで、ようやく「人物像」と「自己像」に折り合いをつけているというのが実態でしょう。


 私たちはフィルター越しに世界を認知し、他者と隣り合わせに接してはいるものの、互いに交じり合うことはありません。「自分らしさ」とは、あくまでも主観的な、自分の自分による自分のためだけの価値意識なのです。
 ですから、お客さまと同じ目線で同じ鏡に映る像を共有しながら、そこへ他者目線を重ねて行く美容師の役割は、現代社会においてとてもプレシャスなミッションなのだろうと思います。実のところサロンで提供するヘアデザインは「その人らしさ」と「自分らしさ」を両端とした線分上にあるべきなのです。

 

 

■「自分」と「自分じゃない」の境界線

 

 ところで「環世界」という言葉をご存知でしょうか。「環境」という言葉と似ていますが、ちょっと違います。


 たとえば昨今のエコロジカルなムーブメントは「地球の環境」をスコープに置いていますが、同じことを語ろうとするなら「ヒトの環世界」とか「クジラの環世界」という言い方をしなくてはなりません。
 どちらも私たちを取り巻く全ての連なりについて言及しようとしているのですが、「環境」と言ったときのヒトやクジラは、システムを構成する要素としての構図が想定されるのに対して、「環世界」と言ったときは、実際にそこで生きている個体から見たヒトやクジラにとっての世界像が主題となります。世界を客観的な視点から語るか、主観的な経験を語るかの違いと言えるでしょう。


 トリが見る地平線をムシの目では感知できないように、全ての生物はそれぞれ固有の感覚に基づいて世界を知覚し、自分の特性を反映した独自の環世界の中で生きています。ネコとミツバチは互いの環世界を往来することができません。閉じた環世界の内側にいるからこそ知覚情報(インプット)と運動作用(アウトプット)が連環され、物事に意味や価値がもたらされるのです。


 とすると、どうやら「自分らしさ」ということはその人の「環世界」とニアリーイコールであるらしいことが見えてきます。ヘアデザインの話に置き換えれば、見栄えや評判は「環境」の範疇で、お手入れのしやすさだとか居心地の具合などは「環世界」のテーマということになるでしょう。


 このことは、フィルターバブルの内側に安心や充足を感じる私たち人間にとって、それが生物的な本能であることを示唆しています。一人一人は【膜】によって守られながら共生し、それぞれが連鎖して【網】のように世界を織り成しているのですね。

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おとなとこどもの最遠平面
『生物から見た世界』ユクスキュル/岩波書店より)

 

左図は、おとなとこどもの視空間の違いを描いている。人間の目は周囲10m以内では筋肉運動によって遠近を判断できるが、この範囲外では対象物が大きく見えたり小さく見えたりするだけであり、乳児の視空間はこの距離が最遠平面となって終わっている。


おとなの視空間は、距離記号を利用して学習することによって6〜7kmまで拡張され、そこから地平線がはじまるように見えてくる。

【情報環世界】
動物が持って生まれた環世界にとらわれがちなのに対して、人間は比較的容易に異なる環世界へ移ることができる、もしくは未経験の環世界を想像することができる。
人間だけが「環世界間移動能力」を発揮できる最大の理由は「言語」の力によるものだろう。言語は個体の主観体験を情報として外部化し伝達するプロトコルとして機能する。
さらに加えてテクノロジーの進展は人間の知覚や運動機能を拡張し続け、今や私たちはリアルにバーチャルを重畳させた「情報環世界」と呼ぶべき世界を生きていると言えるだろう。(『情報環世界』NTT出版/2019年

 

 

■「自分」にとって「ちょうどいい」

 

 さて私たちが【膜】によって守られているということは、宿命的にその内と外に「異者」を生むことになります。たとえば免疫という自己防衛システムは、異者に攻撃を仕掛けることによって自身の結束力を高める仕組みに他なりません。


 このことについて生物学者のライアル・ワトソンは「人間は敵を必要とする」と述べたうえで、「悪」は生態系にとって「ちょうどよくない」とした避けられたもので、ぴったりと適応したものが「善」となったのだと説明しています。つまり、善なるものははじめから善だったのではなく、悪なるものは選択されなかったオプションなのだということです。


 童話『三匹のクマ』に登場する少女ゴルディロックスが、不法侵入したクマの家で固過ぎず柔らか過ぎず、熱過ぎず冷た過ぎない「ちょうどいい」お粥を見つけ出したように、地球に生命が誕生したのは、そこにたまたま「善」のみが用意されていたからではありません。異者のための余白や余分が充分に満ちていたからこそなのです。
 もしもシステムに多様性がなければ、自己に短期的な利益や安全をもたらすものは全て貪り尽くされ、環境には「悪」ばかりが残されることでしょう。

 

善良さが邪悪さへ転じる契機
1)良いものは、本来の生息環境から移動させられたり、周囲の文脈から外されると悪いものになりやすい。
2)良いものは、それが少な過ぎたり多過ぎたりするととても悪いものになる。
3)良いものは、互いに必要な情報を交換できない状態では極めて悪質なものになる。(『ダーク・ネイチャー』筑摩書房/2000年


「自分にとってちょうどいい」ものを見つけることの効果は、経済や工学ばかりでなく、生命や宇宙の進化にも直接関わっている。脚を羽根やヒレに変えるのは長い時間がかかるが、私たちは心や運命を一瞬で変える能力を持っている。さて現代の社会は、この「ちょうどいい」の感覚を丸ごと失う瀬戸際にいるようには感じないだろうか?

 

 

■なめらかな「自分」

 

 この世界は「わからなさ」に満ちています。なぜなら、私たちは宿命的に個々の環世界に閉じているため、完全に客観的な世界像を俯瞰することができないからです。
 しかも現在の社会は「個人」が分割不可能な存在であることを前提として設計されていますから、私たちは我が身の内の矛盾や葛藤や、多面性や移り気を「悪」として封印せざるを得ませんし、何か不都合が起これば誰か特定の者に責任を負わせて収束を図ろうとするのです。


 この「個人=in-dividual=分割できない者」という概念に対して、「分人=dividual=分割可能でマルチロールな存在」という考え方があります。たとえば美容師である私が、家では妻であり、町内では役員であり、車に乗ればドライバーであり、、といった具合に様々な属性に応じて自身をツリー状に分岐するイメージです。


 分岐された子情報はいつでも親情報に還元可能ですから、これを経済の観点から見るとインフレが起こることがありません。手持ちの通貨1単位が分割して投資され、それらが巡り巡って回収される、いわば「信用が伝播する投資貨幣」といったモデルが想定されるでしょう。個々のリソースは限られているとしても、寄って立つ地を自在に置き換えることで、未だ知らぬ別様可能性を発掘し、新たな意味や物語を興して行くということですね。


 この理論を『なめらかな社会とその敵』(鈴木健/勁草書房/2013年)では「WEB3.0」の文脈で語り直しています。


 たとえば既に実装され始めているブロックチェーンの技術が期待通りに普及すれば、世界中の情報という情報には全て完全な状態でのトレーサビリティがもたらされ、あらゆる「個人」のライフログは永遠にクラウドへ刻印されて行くでしょう。この事態は、監視社会の到来を予見するものでは決してありません。そうではなくて、いよいよ世界はその複雑な多様さを複雑で多様なまま記譜されようとしているのです。
 はじめから社会の仕組みに「分人」を組み込んでしまえば、世界と自分とを隔つ境界線はなめらかになって、社会は多様多層に関わり合う【網】として再構築できるだろうという提案です。

 

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「伝播投資貨幣」のイメージ
『なめらかな社会とその敵』鈴木健/勁草書房より)

◆ある取引が行われると、その影響はそこで完結するわけではなく、サプライチェーンを通して次の財とサービスを生み出していく。
◆とすればあらゆる消費財は中間財であり、価値が伝播し続けるかぎり最終財は存在しない。

 

 こうした世界の複雑さを飼いならすために、生命は進化の過程で2つの解決策を発明しました。


 一つは、複雑さを分節する【膜】を同定し、境界領域の内部に【核】を置いて複雑さを制御する方法です。もう一つは、複雑さを環境の方へアウトソーシングすることで認知コストの軽減を図る戦略です。前者は排他的な中央集権モデル、後者は共生的な自律分散モデルと言えるでしょう。


 この両者を生命が二択ではなく並列させてきたことに、私は刮目せざるを得ません。そもそも私たちはヒトになる遥か前から社会的な存在だったのですね。美容師の仕事がライフデザインに携わることだとすれば、「生活」と「生態」を重ねて考える必要があるだろうというワケです。

 

 

【髪棚の三冊】〜感性とデザインのリテラシー〜
vol.10 「自分らしさ」について
□『情報環世界』ドミニク・チェン他(NTT出版)2019年 
□『ダーク・ネイチャー』ライアル・ワトソン(筑摩書房)2000年
□『なめらかな社会とその敵』鈴木健(勁草書房)2013年

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2019/08/09 23.48 ALIS 16.90 ALIS
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