金井京一郎の評価が高い理由。
それは世界でも数人しかいない「独立時計師」に認定されているからだった。
そして、金井京一郎の至高の一品「五月雨」。
そのお値段10BTC。
11.変人から天才へ
「なあ、今日の晩ひまか?」
おごってもらう気満々の下心全開で彼に尋ねる。
「いや、今日は時計制作をしたいからすぐ家に戻るよ。
あ、そうだせっかくだし僕の作業場見に来るかい?」
この言葉に夜ごはんなど頭の中から消え去った。
誘い文句が思わぬ方向に繋がった。
「ほんとか、いくいく!」
俺は、独立時計技師の作業場がどんな感じか、気になって仕方なかった。
説明会後、金井の後についていった。
日はすでに落ち、真っ暗な世界が俺たちを包み込む。
金井の家は、見るからに豪邸だった。
暗闇で奥行きまできちんと見れないのが
残念なくらい、壮大な佇まいをしているのがなんとなく伺えた。
さて、この中にどれだけ立派な作業場があるのだろうか。
奥を覗き込むように外観を見渡す。
あまりの家の大きさに見とれていると
「はやく、入りなよ」
手招きをしているようだったので、少し名残惜しいが、中にはいらせてもらう。
「おじゃましまーす」
挨拶が、家の奥へ響いていった。
そして一般の家では見たことがないほど
立派なシャンデリアが、俺を天井から迎え入れてくれた。
その雰囲気に、唖然としてしまい、声が何も出てこなかった。
「僕の作業場はこっちだよ」
ぶっきらぼうな声は反響のせいか、少し味のある声になって俺に届いた。
「ああ、いくよ」
彼の後ろを促されるままについていく。
2階にあがり、まっすぐ突き進む。
奥の角部屋が彼の作業室のようだった。
2階の他の部屋の光景が、チラッと目に入る。
なんだ…この広さは。
その状況があまりに凄すぎて、
しっかりと事態が飲み込めないまま、作業部屋に吸い込まれた。
案内されたのは6畳一間の和室。
時計制作に使わるであろう機材が、大量に詰め込まれていた。
そのため、少し窮屈に感じた。
「どうだい?いい場所だと思わないかい?これが、最近手に入れた機材なんだよ。なかなか入手が困難で一苦労したよ」
「俺には、良さがわからんが高そうだな。あそこに山積みに置かれてる本も全部時計関連か?」
「そうだね、この部屋には時計に関する物しか置いてないからね。ちょっとモノが増えてきたのが最近の悩みの種だね」
いや…ちょっとどころではないけどな…
俺は、身動きが取れない状態をどうにか打破出来ないか
苦慮しながらそう思った。
そこから、金井は作業に入ると言って、時計の制作現場を見せてくれた。
彼は、ほんの数秒もしないうちに、時計の世界に潜り込んでいった。
傍から見てても、それが分かるくらい集中していた。
…もう俺が、この部屋にいることすら、彼の頭の中にはないんだろうな。
目つきの変りようからそう理解した。
天才と呼ばれるモノづくりとはこういうものか。
現前と室内に座っている人はもう同級生ではなく、名高い天才時計技師だった。
数時間後、様子をじっくり見たのち、
彼には声をかけずにその場からそっと立ち去った。
厳密には、声をかけたのだけど、彼は時計の世界で躍動しているようだった。
帰り道の途中、ゆっくりとその光景が思い出されてまわりだす。
彼の手つきがあまりにも鮮明に目に焼き付いていて、
種火のようにジワーと、
脳裏にこびりついていくのが感じ取れた。
天才と評される者の作業現場を初めて見た衝撃。
この感覚は、おそらく一生忘れないんだろう。(続)
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