天才とはなんだろうか?
どうすれば天才になれるだろうか?
そんな事を昔から考えてきた。
ちびっ子の頃は、
生まれてきた時点で持っていたモノが違うから天才になれると。
そう自分に言い聞かせてきた。
呪文のように。
「センス」があるからだと。
誰もが、持ち合わせていたいと考える唯一無二のモノ。
ただ「天職」と呼ばれる言葉があるように、
人には皆何かしらのセンスを含んだ才能を持っている。
大人になってから、そう答えを導き出すようになった。
ただ、この「センス」に気づくことが、実は一番大変なのかもしれない。
その事も成長するにつれて、体感として認識するようになった。
どのようにそのセンスに気づき、個性として活かしていくか。
本当に心から楽しいと思えるものにのみ、
きらめきとなってその才能は溢れ出す。
情熱が熱ければ熱いほど、スープのような源泉がからだの中に溢れていく。
溢れるばかりの才能というスープの原液に、
努力というあく抜きの手間を加えて、
美味しくして、美味しくして、美味しくして、
絶品の料理にしたものだけが、光り輝く「一流」という評価を手に入れることが出来る。
そして、
あなただけの「スープ」をじっくりと、
常にいつ何時でも作り続けておく必要がある。
店を開く予定がなくとも。
なぜか?
それは、あまりにも当然に、
あなたの「スープ」を食べたいと言ってくる人と出会うからだ。
ただ、それがいつかは分からない。
タイミングとは、運命の女神のいたずらか、
千載一遇のスープの品評会のチャンスを
唐突に言い渡してくる。
その時、あなたのスープは料理となって、
観衆と言う名のテーブルに運ばれる機会に恵まれる。
美味しいかどうか、お客様は素直に判断する。
美味しくなければ、あなたのスープは二度と注文されない。
美味しければ、足しげく通ってくれる常連客となる。
ただ、それだけ。
評価の基準は美味しいか否か、その一点。
だから、常にスープを美味しくする努力が私たちには必要だ。
具材を入れて、工夫してもよいかもしれない。
スープという才能の素だけがいくら大量にあっても、
具材が無ければ「旨味」を出すことは難しい。
具材を探しに出かけよう!
おいしい具材は、知識や教養、または経験でのみ収穫できる。
人との交流で、具材を手に入れるもよし。
文献から具材を手に入れてくる方法もありだろう。
手段は問われていない。
やりようは千差万別にある。
持ち帰った具材はセンスというスープに放り込んで、
じっくりコトコトと煮込む。
あく抜きも忘れない。
もちろんのこと。
そうして、年月という時間がスープを熟成させていく…
さあ、あなただけのポタージュスープの完成だ!
そのあなただけのオリジナルスープを、
ランチョンマットを敷いた誰かがきっと、
たしかにどこかで待っている。