僕の脳は昔の記憶を優先的に消していく仕様のようで、あまり昔のことは思い出せないのだが、それでもいくつかは記憶に残っていることがある。
幼稚園に行くことは、とにかく嫌だった、何が嫌だという明確な理由は無かったように思う、まだ言語化できなかっただけかもしれないが、しかしながら、とにもかくにも嫌だったということは覚えている、嫌というよりは怖いに近い感覚かもしれない。
恥や外聞を極端に気にする様になる前だった僕は、毎朝幼稚園バスに乗ることを泣きながら全力で拒否する園児だった、何とかバスに乗せようとする母と先生に対し、絶対に乗るもんかとバスの扉にしがみついて抵抗したことを覚えている。
これに困り果てた母は、ある日の夕方、僕に幼稚園まで一緒に散歩してみようと提案した、記憶によると秋だったように思われるが、だとすると僕は一学期の間ずっと毎朝泣いていたということか、ともあれ、母と一緒に幼稚園まで行き、誰もいない幼稚園の庭や、同じ敷地に建っているお寺さんの境内なんかを散歩した。
このとき僕が何を思っていたのかは覚えていないが、母と一緒に見た幼稚園はいつもより視界が開け、今までそこにあることに気づいていなかった色々なものが目に入ってきた、当時感じたことを今表現するならそんなところだ。以降バスに乗る際に泣くことは無くなったように思う。母は幼稚園は怖い場所じゃないということを言語ではなく体験として僕に伝えたかったのだろう、犬のしつけに同じようなのがあった気もするが…。
ただ、これで幼稚園に行くことが嫌でなくなったかと言えば、そんなことはなく卒園までずっと幼稚園に行くことは嫌なままであった。
もう一つ覚えているのが幼稚園で、絵の具のビンに両手を入れて、手に付いた絵の具を大きな紙に塗りたくろう、みたいな行事だか授業だかがあったことだ。
僕は神経質な子供だったので絵の具が手に付くのが嫌で、人差し指に絵の具を少しだけ付け、すぐに大きな紙で拭き取る、ということをしていたのだが、それが気に入らない先生に手をビンに入れろと言われたのがすごく嫌だった、いや、言い方は幼稚園の先生的な優しい言い方だったと思うが。
今ならわかるが、大人というものは、子供が顔や手に絵の具をベタベタ付けながら遊ぶ姿を見て、無邪気で可愛いと思うものだ。僕だってそういう子供の方が可愛げがあると思う。だからといって神経質な子供の手に絵の具を付けてみたところで、その子が無邪気に育つ訳ではない、自分の態度を先生は良いと思ってなかったな、みんなと同じようにしなければいけないんだろうな、と思った記憶が残り性格が捻くれるだけである。
後は何だろうか、幼稚園の隣のお寺でもらう肝油ドロップが好きだったことくらいしか覚えていない、友達が1人もいなかったということは無いと思うのだが顔も名前も1人も出て来ない、もちろん同級生も1人も記憶にない。
こうして思い返してみると幼稚園に入った時点で今の性格の原形はもう出来上がっているようだ、そうなると僕は生まれつきこの性格だったということだろうか。もちろん幼稚園の頃の方が今よりはずっとマシな性格で、そこをベースに捻くれに捻くれ曲がると今の性格になる。
追記
あ、なんかちょっと思い出して来た、幼稚園の庭に大きいお椀を逆さまにしたみたいな遊具があって、その上に登ってみたかったんだけど、何だか色んなことに遠慮して結局1度も登らなかったなあ。とか、
当時チェッカーズのギザギザハートの子守唄が流行ってて、帰りのバスの中で僕以外のみんなが合唱してなあ。とか、
幼稚園児が「わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」って合唱してるの相当おもしろいけど、当時はまだシュールって概念が理解できないから、一歩後ろに引いて客観的に見ておもしろがることも出来なかったのは残念だ、ナイフみたいにとがって触るものみな傷つけてる幼稚園児やばいだろ。
今気づいたけど未だにギザギザハートの子守唄がフルコーラス完全に脳内再生できてしまう、何で僕の脳は友達の顔と名前よりもギザギザハートの子守唄の歌詞を記憶しておくべき情報として処理しているのだろうか。
あ、もう1個思い出した、親父の車に・・・・
ってもうやめとこ、誰が読みたいんだよこんなもん。
ニートの生態シリーズ。