「日常」カテゴリーが着々と「僕」カテゴリーになろうとしている。
早く誰かに日常を書いてもらわねば。
もしかしたら日常なんて書きようがねえよ、と思われているかもしれない。
何か手を打たねば。ということで、全く参考にならない可能性もあるけれども、僕が普段どうでも良いことを書いているときに何を考えているかを書いてみたいと思う。
まず、最近していることを1つ考える。
例えば、僕の場合、最近よく歩いている。
ここで考えたことは文にした時に「起」となる。
次に、だから何なのかを考える。
よく歩いている。
だから、足が痛い、膝が痛い、腹筋も痛い、お腹が空く、眠りが深い気がする。
ここで考えたことは文にした時に「承」となる。
そこから、無理やりテーマっぽいものを引き出す。
なんだろう、そうだな、歩くことには確かな効果がある。と言い張ってみよう。
ここで考えたことは文にした時に「結」となる。全体の流れとして何とかここに行きつくように話を進めよう、と書く時に考えるのである。「転」は書いていて結論なんか違うな、と思ったら、結論が全然違うものになるのを誤魔化すために入れる。
それっぽいタイトルを考える。
僕はタイトルがあった方が書きやすいので先に決めている、「結」と関係があるようなタイトルにしておいた方が書きやすい。
今回なら、「引きこもりが実証、歩くことの効果」とかにしようか。
「起」を書いてみる。
歩くことは健康に良い。というのはよく言われることで、誰でも知っていると思うが、実際に歩くことにどれ程の意味があるか実感できる人はあまりいないだろう。
何故なら、普通に暮らしている人にとって、歩くなんてことはあまりに普通のこと過ぎるからだ、いつもしている普通のことの効果を実感することは難しい。
しかし、僕はどうか。僕の普通は歩かない、いや、むしろ動かない、動かざること山の如しに関してだけは武田信玄も僕に対して負けましたと言うだろう。
これだけ普段歩いていない僕であれば、歩くことによってどんな変化が生じるのか実感できるという訳だ。さて歩くことは本当に健康に良いのだろうか。
こんな感じか、僕はいつも「起」の部分が一番時間がかかる、ここが上手くまとまれば後はダラダラ書いても「結」にだけちゃんと繋げればそれなりの恰好になる。
逆に「起」が上手くまとまらないと何を書いているかわからなくなってお蔵入りになることが多い、もしくはだいたい全部書き終わった後に書いた内容に合わせて「起」を全面的に書き直す羽目になってしまうこともある。
「承」を書く。
全部書こうかと思ったのだが、めんどくさくなってしまったので概要にしたい。
たぶん「承」には、足や腹筋が痛いってことは足腰鍛えられとる、お腹空くってことはカロリー使っとる、よく眠れるってことは運動にもなっとる、ってことを書くんじゃないかと思われる。
「結」を書く。
この流れなら「結」は予定通り、歩くことは意味がある、僕が確かめたんだから意味があるったらある、になるのだろうか。
まあそれでも良いが、何となく弱い気がするので、良いこと言ってる風のオチにしたいと思ったとすると。
ということで、歩くことには確かに意味があるのである。皆さんは僕と違って毎日たくさん歩いているだろう、だから歩いていることの効果など感じないかもしれない、しかし感じていなくても毎日歩いていることが皆さんを少しだけ健康にしているのである、そう思うと、毎朝駅まで歩く道も違って感じたりするのではないだろうか、明日は月曜日、朝、いつもより大きく腕を振って歩いてみるのはどうでしょうか。
こんな感じか、逆に、そうは言っても僕は結局寝て暮らすけどね!の流れにすることも出来るとは思う、ちょっともう書くのが大変なのでそっちバージョンは書かないけれども。どっちの結論も実際に思っていることではあるが、どっちの流れになるかは書いているときの気分次第だったりする。だからネガティブな気分のときは何をテーマにしても話がネガティブになってしまうのである。
つまり
日常なんてものは、最近よく歩いてるよな、というだけから書き始めても何とかなるということが言いたいのである。それこそ、最近何もしていないよな、から書き始めても1つ書けるはずなのだ。
さあ、これは結構僕にとってはネタばらしに近いものがあることを書いた、これはもう皆の日常を書いてもらうしかないという話だ。さあ、書いてみよう、今すぐ書いてみよう、そして書いたらTwitterで教えて、読み逃すと嫌だから。