この質問は歌詞についてということで良いのだろうか、僕に音楽のことを聞くとも思えないので多分歌詞の内容について書けば良いのだと思うことにしよう。
強者に媚びへつらう僕に 醒めた視線が突き刺さる
Someone said 「I hate you」
アイツの不幸せは好きですか? あのコと本音で喋れてますか?
心であざ笑ってないですか? It's me, Why don't you kill me?
グロテスクな自分愛せますか? 本当は泣きたいんじゃないですか?
今を生きるパスはお持ちですか? It's me, Why don't you kill me?
本音を隠し建前で生きる自分をグロテスクとした上で、そんな自分を愛せますか、と言っているのだろうか、それとも本音では他人の不幸を願ったり、他人をあざ笑ったりしている、そのこと自体をグロテスクだと言っているのだろうか。
他人を羨んだり妬んだり、不幸を願ったり、蔑んだり、僕はそういうことは仕方がないことだと思っている、だから別にグロテスクだとは思わない。人間とはそもそもそういう風にできているものだと思っている。むしろそんなことは一度もしたことがない、という人がいたらそっちの方が不気味だ、正直どうしたらそうなるのか僕には全く理解できない、グロテスクではないが異星人のようなものだ。
人間がそういうものだという前提の元で、それを隠して建前で生きることはどうだろうか、これは、むしろそうあるべきだと思っている。他人への妬みや蔑みを、これが本音だからと前面に押し出して生活するのはどうかしている、そんなものは自己満足でしかなく、周りの人間が嫌な気持ちになるとわかった上で自分が本音で生きることを優先するのであれば、そっちの方が余程グロテスクである。
それでは、醜い本音を持っていることも、それを隠して生きていることも、グロテスクではないというのであれば、僕は自分を愛せているのかといえば、別に愛していない。そういったことが人間として当然の姿なのだとしても、だからといって愛せるかと言われれば、それは全く別の話である。仕方が無いと思っているが好きではないし愛してもいない、人間とはそんなものだと許容しているだけの話だ。
ちなみに僕は、自分がそういう風に生きていることは仕方が無いと思って許容しているが、そういう風に生きざるを得ない自分という個体のことは、全く許容できていない。僕は能力的に劣っていれば劣っているほど、他人に対してネガティブな感情を持たざるを得ないと思っている、それこそ聖者か仙人かロボットでもない限り、他人より自分が非常に劣っているということと折り合いを付けるには、そうならざるを得ないように思う。だから、無能に生まれてしまった以上、そんな風に生きるのは許容するしかない、しかし無能であることまでは許容できない、僕はこの個体のことは大嫌いである、愛せる可能性は全く無い。
しかし、平井堅がこの歌詞を書いているということは、優れた能力を持っている人にもどこかで同じような悩みがあるのだろうと思うと不思議な感じがする。一体何が不満で人を妬むようなことがあるのだろうか、顔が濃過ぎて写真を撮ると影になってしまうのが嫌なのだろうか、のっぺりした顔の人が羨ましいのだろうか。だが僕から言わせてもらえれば、あれだけ優れた能力が1つでもあるのなら顔が濃いことなんてどうでも良いじゃないかと思ってしまう。まあ本人からしたら、そんな単純に割り切れる話でもないのだろうとは思うが。
勝手に平井堅が顔が濃いことに悩んでいることにしてしまったが、実際はそんなことには悩んでいないだろう、一体何で彼ほどの能力を持った人間がこんな歌詞を書いているのか無能者には理解できない、しかし無能者からそんな風に言われることも優れた人間的には嫌だったりするのだろう、どっちみち僕には理解できない悩みだが。