醍醐寺拝観の続きです。
お腹が空いたので、お昼を食べることにした。醍醐寺の敷地内にも食べるところいくつかあるのだが(後で知った)、門の外出てすぐのところにある蕎麦屋に行った。
なんか、鎌倉にいるような感じ・・・
鰹節が美味しいとか、大根おろしが素敵とか、そういうところを気、遣ってるお店って好き。蕎麦の口当たり、歯ごたえ、味も良かった。
店に華やかさはないが、清潔だし、静かで混んでもいないから、落ち着いて食べれた。
改めて醍醐寺へ。
三宝院の横を通り過ぎ、
南大門から移された平安時代の仁王様がいる、仁王門を潜り抜けると、その道の両脇の木がなぎ倒されまくっていた。切株もいっぱい。台風でかなと思って聞いたら、そうだった。
醍醐寺の本堂である金堂は平安時代のもので、秀吉が命じてが紀州(和歌山)から移築させた、1600年の秀頼の時代に移築完成したらしい。国宝。
これって、この後修復する予定なのか?それともあえて、こういう古い感じにしてるのか?
夜とか、なんか出そうな雰囲気。
昔話の舞台に合う感じ。
金堂の周りには、背が高い桜の木があったり、広々としているのが良い。
五重塔が見えた。
「ALISでお花見」企画の時、醍醐寺の桜の写真のある記事は投稿したので、
桜でなくて建物を今回は中心に。
国宝の五重塔は、醍醐天皇が亡くなった時に、冥福を祈るために朱雀天皇が立てさせたそうで、着工936年、完成は村上天皇の時で、951年。
高さ38メートルだが、相輪の部分13メートル。・・・相輪が三分の一、占めてる。
シイタケのかさの裏みたいだなと思うこと多い。五重塔の屋根の下側。
京都府下で最も古い木造建築物だと!
ほんと凄いよね、これ、どうやって造ったんだ・・・・って思う。
スカートみたいに微妙カーブしていたり、日本の古い建築物の、流れる動きや整った並び方など、ほんと凄いのが、国内にたくさんあるっていうの、素晴らしいよな。
もう少し早く戦争が終わってたら、もっと素晴らしい建物残っただろうに。しかし仕方ないことだ。物体はなくなる可能性がいつでもある。
五重塔より進んで行った先に、観音堂があり、それを過ぎると、池があり、弁天堂があった。
弁天堂の近くには食事処があり、メニューのボードに湯葉カレーなどあった。
晴れていたり、桜がもっと咲いていたり、紅葉が燃える時期だったりしたら、絵葉書のような景色なのだろうな。
西国十一番札所である観音堂は、昭和五年のものらしいが、古びた感じが、もっと古い雰囲気を出していた。
古そうに見えるからって、古いと限らないし、修復して色鮮やかになると、歴史あるものもなんか雰囲気欠けて見えることもある。
平安時代の物とか、実際にはびっくりするほど派手な姿がもともとの姿だったりするようだし。
こういう感じだから大事なものだといった思い込みがあるのだろう。
観音堂を見ていたころに、他の人たちが、雨降りそうだと話していた。
その後、霊宝館で仏像など収蔵品を駆け足で見た。霊宝館の周りには、フランスから寄贈された桜の木や、おしゃれなレストランなどあって、美術館とその周辺のようだった。どうやら、フランスエリアになっているみたい。
記事内の、建物紹介は、醍醐寺のサイトを参照。
醍醐寺を見終えた頃には16時近かったか・・・次なる目的地へ移動。
(続く)